しもた屋之噺(254)

杉山洋一

この一カ月余り人にも会わず、ただ粛々と仕事に明け暮れていて、母は米寿を迎え、息子は18歳になりました。Covidが話題に上らない代わりに、ウクライナ侵攻や度重なるシチリア沖の移民船海難事故など辛い記事が続き、あまり熱心にニュースを読むこともしませんでした。
コロナ禍で我々が気が付かなかった、もし気が付かない振りをしてきた歴史の次頁を、そろそろ目をあげて読みださなければいけない時がきているのかも知れません。急に春めいてきて、庭には小さな花が沢山咲いていますが、朝晩はまだぐっと冷えこみます。

3月某日 ミラノ自宅
町田の母が米寿を迎えた。彼女が使っているコンピュータは旧いWindows8で、メーカーサポートも中止されたので、次回帰国したら新しいコンピュータを贈ろうとおもう。暫定的にカズオ・イシグロの「忘れられた巨人」と「日の名残り」とラベンダーオイルなどを届けた。
彼女が今もこうして元気に暮らしているのは、長い間熱心に水泳に打ち込んでいたからだろうか。離れて暮らしているので、両親ともに健康であるのは何にも替え難く、心から感謝している。元来母は童顔で小柄なので、歳とともに、何だか可愛らしいお地蔵さんのように見えたりする。なるほど地蔵の顔は中性的で、童子のようでもあり、達観した老人にも見える。
母が大事に育てている蘭が幾つかあるのだが、今年はどれも驚くほど見事な大輪を咲かせていて、彼女は鼻高々。

3月某日 ミラノ自宅
音楽が痩せて聞こえるのは、発音と発音の間の空間に音楽が満ちていないからではないか。沈黙が物質的な無音状態に陥ると、聴き手の脳は自動的に音の表面をなぞり始める。沈黙は無味乾燥とした箱になり、演奏されている空間から有機性が失われてゆく。
サラと息子がシュトックハウゼンの「ソナチネ」とダニエレの新作を弾くので、国立音楽院にでかける。ピアノパートは、ケルン音大卒業時に書いたもので、それに後からヴァイオリンパートを付加したものだそうだ。シュトックハウゼンの遊び心がしばしば顔を覗かせるのも愉快だし、彼が既に当時の技法の先を見つめているのを感じる。実験的であったり挑戦的であったりするためには、常に真面目腐っている必要はなかった。こうして何の先入観も持たない若者がこの作品を弾くのは、見ていて気持ちがよい。
ダニエレの「パッサカリア」。音は極端に少ないが、ヴァイオリンは単音を最弱音でとても長く弾き続けるので演奏は難しかったはずだが、見事で有機的な演奏であった。
シュトックハウゼンがミラノの国立音楽院を訪れた際の逸話が披露され、それによると舞台照明を最大限明るくするよう執拗に注文を付けたことと、演奏会後の会食では、家族が演奏した自作のテンポが指定と違うことに神経質になっていたとのこと。

3月某日 ミラノ自宅
労働者会館に、アルフォンソが弾く間奏曲6番を聴きにゆく。決して狭い会場ではないのに、超満員の人いきれで、愕く。自分で書いておきながらこの曲を聴くのは2回目。
3.11の直後で、全く作曲ができなくなり、音楽表現そのものがわからなくなった時期に書いたのは覚えていたが、どんな曲だったか、殆ど記憶にも残っていなかったし、思い出したくもなかった。単調で、殆ど音らしい音も存在しない。まるで魂を抜き取られた心地で毎日を暮らしていたし、音楽によって自らをせめても亢進させ奮い立たせようと、何かを模索していたような記憶がある。
我乍ら聴いていて違和感を覚えたのは、曲の殆どを、思いの外明るい和音で書いていることだった。文字通り自分の躰と音が完全に分離してしまっていて、文字通りまるで自分が生きていないような、さもなければ、正気を失って薄ら笑いだけが独りでに続いているような、居心地の悪さであった。最後にかすかに現われるコラールだけが、自分の裡に残っていた音楽なのだろう。
アルフォンソの演奏は実に濃密で、ひたむきな姿に心を打たれる。ダヴィデのクラスでは、この曲を学生に弾かせているそうだ。
大江健三郎逝去。レプーブリカ紙は真ん中に大きな肖像写真を掲げ、両面を割いて追悼記事を掲載している。

3月某日 ミラノ自宅
息子18歳の誕生日。日本でもイタリアでも成人として扱われるようになる。夜、知合いの高級日本料理屋にでかけ、二人ならんでカウンターで寿司を握ってもらう。揃って酒を嘗めるのも初めてだが、何とも不思議な心地だ。18歳で成人は時期尚早という気もするが、ともかく息子が未成年を終わるまでを見届けたので安堵したともいえる。
自分が18歳の頃は、決してこんな否定的な空気が世界に充満していたわけではなかった。当時自分が住んでいた東京は、皆が浮足立っていてどこか熱に魘されているようでもあって、こんな時代が永遠に続くはずがないと皆感じてはいたけれど、時代を先に進めたい、歴史の次章を読みたいという、皆の強い希望に満ちていた。
ベルリンの壁が壊されソ連が崩壊した時、チャウセスクが逮捕された時、これからは世界が一つになり、平和で幸福な時代が訪れると信じていた。ポジティブなエネルギーが世界に充満していて、我々若者もそれを肌で感じていた。
近い将来ヨーロッパは通貨が統合され、パスポートなしで往来できるようになるらしいが、どうしてそんなことが実現できるのか、絵空事で信じられなかった。
あれから世界は一巡したのだろうか。こんな時代に息子が成人を迎えたことを、親として彼に何と言うべきか。彼が成人して法的責任はなくなるけれど、彼が今、そしてこれから立ち向かう現実は、我々が作り出してきたものだ。彼が倖せになるのも、不幸になるのも、何某かの要因は親である我々にある。
強く、したたかに生きて行ってほしいと思う。我々が甘えて全て壊してきた半世紀を、彼らが建直してほしいと切望する。その為には我々よりずっと強靭でなければならないだろう。18歳の息子は、それには随分頼りないようにみえるけれど、人間はその環境に適応してどうにでも強くも弱くもなれる。余りに自分が頼りないと思ったからイタリアに移住して、少しずつ逆境に耐えて今まで生き延びてきた。恐らく今の息子の方が、当時の自分より確り物事を判断できる気もする。

3月某日 ミラノ自宅
朝起きて、布団の中でただ黙って作曲中の曲を考える。自分の裡には何も音楽がない。目の前のスクリーンに音が映り何をすべきか考えるが、そのとき音には感情は入らない。
逆に、時にはピアノで音を鳴らしてみることもある。そのとき、ピアノから聴こえてくる音には、明確に、何某かの表情が現れていて、はっとする。
自分の裡に、演奏するときに似たマグマのような触感を感じ、それを楽譜に写し取りたいと思うときもある。そんな時は、その触感だけを体の隅に記憶させておき、また目の前のスクリーンに音符を投影する。
作曲中のヴァイオリン協奏曲は、その触感が割と強く作品に働きかけているようにおもう。まるで洗練されていないと自覚しているが、ごつごつ、がさがさした手触り、何とも形容しがたいこの数年自分の中で常に脈々としている一種のフラストレーションのようなものは、強く反映されている。
ゴッホみたいな筆致で書けたらどんなにか良いだろうと思う。彼は本当に洗練されているし、色調もあまり暗くない。自分の色調は、どんどん暗くなってきているから、どう足掻いても近づくことはむつかしい。せめて、あの筆致だけでも真似したいと思う。
岸田首相キーウ訪問。

3月某日 ミラノ自宅
チュニジア沖で移民船が難破。チュニジアのスファクスから出港しイタリアを目指していた移民船が沈没し、現在のところ収容された死亡者は29名。
この週末だけでシチリア沖では3000人のアフリカ系移民が救助されたという。今年に入ってから既にアフリカ人2万人が海路で入国している。カラブリアクトゥロ沖では、2月26日にトルコから出港した移民船が沈没し、91人が亡くなる事故が起きたばかり。

3月某日 ミラノ自宅
和音で空間を支配するのは、自分で作曲するときはどうもしっくりと来ない。方向性をつくるのが下手だからだ。トータルセリエール的なものも、機能和声の方向性の否定から端を発しているので、自分が使うとやはり飽和状態になるので苦手だ。
クセナキスのように、それをずっと巨視的にみて、古典的な音のエネルギーを素直に表現する方が自分には近しい気がする。クセナキスも、音の選択で篩にかけた旋法を使うこともあった。旋法そのものには音楽の方向性は発生しない。
非和声音という言葉がある。和声構成音に属さずにいるから、ちょうど磁石のように、非和声音が和声構成音にひっぱられるようなエネルギーが生まれ、緊張がうまれたり、解決するときに開放感と安心感を覚える。一つの事象が別の事象へ変態してゆくとする。コンピュータを使って極めて高い精度でそれをすると自然すぎて方向性やエネルギーや張力すら感じないかもしれないが、敢えてアナログでやれば、網目が粗すぎて事象を受け取る側が補填、補正しながらついてゆかなければならない。そこには能動的なエネルギーが発生するのではないか。
人工知能ではできないこと、情報の蓄積では処理できないこと、その網目の粗さから手触りが浮き上がってくること、それは一体何であるのか、模索している。

3月31日ミラノにて