言葉と本が行ったり来たり(15)『香港少年燃ゆ』

長谷部千彩

八巻美恵さま

 桜も満開、春ですね。重いコートも不要になって身も軽い。私のベランダではフリージアが咲き始めました。
返信に半年もかかってしまい、すみません。身内に入院する者が出たり、住環境の変化があったり、自分自身についても考えねばならないことが多く、落ち着いて机に向かう時間が取れずにいました。八巻さんはお変わりありませんか。お元気ですか。

 先週になりますが、入国条件が緩和されたと聞き、香港に行ってきました。観光客が本格的に増える前に、ささっとチケットを取って、ささっと支度をして、ささっと飛行機に乗る、もちろんひとり旅です。
 国際線の飛行機に乗ったのは、2019年の秋、ブエノスアイレスへの旅以来。最後に香港に行ったのはその前だから、3年9ヶ月ぶりです。コロナウィルスが流行る前は毎月訪港していた時期もあるほど頻繁に足を運んでいた街なのに、だから空港から市街に入って行く時には、タクシーの中で柄にもなく緊張してしまいました。疎遠になっていた友達と再会するみたいで。

 あいにく滞在中はずっと曇天、時々雨、時々豪雨。一度も空が明るくなることはなかった。そのため、すぐには気づかなかったのです。あれ?香港って、こんなにどんよりした街だったかな?と首をかしげ、だけど、きっと陽の光さえ差せば、埃を払ったように色鮮やかな街が浮かび上がってくるはず―私はそう確信していました。でも、その夜にはわかった。3年9ヶ月の間に、香港名物、路上に所狭しとせり出していたネオンサインはすっかり撤去され、目抜き通りの彌敦道(ネイザンロード)までもが薄暗い。エネルギッシュで、グラマラスで、混沌としていて、キラキラと眩しい、そんな香港は跡形もなく消えていた。そうか、ネオンという美しい羽根をむしり取ると、煤(すす)けたビルが延々と建ち並んでいる、それがこの街の素顔だったのか。まるでジャ・ジャンクーの映画に出てくる中国の地方都市みたい・・・。そう心の中でつぶやいてからすぐに、いや、香港も中国の地方都市ではあるんだけどね・・・とつけ加えたのですが。
 夕食の後、散歩していると、灯りのつかないビルの多さが目につきます。立ち退きが済み、どのフロアも無人となったビルがあそこにもここにも。入居者のいる暗い窓と退去後の暗い窓は、暗さが違うからわかるのです。ここと隣とそのまた隣のビルを解体して、大きな区画にしたら新しいビルを建てるのね。そしてそれはいままで建っていたのとは全く趣の違うものになる、たぶん。
 10年程前、九州大学の先生が書いた『香港の都市再開発と保全―市民によるアイデンティティとホームの再構築』という本を読み、香港の再開発については既に多くのことが決まっていると知りました。だけど、頻繁に足を運んでいたために、私は街の変化を“少しずつ”としか感じ取れなかった。けれど、今回の滞在で実感させられました。実際はそれが激流のごとく進んでいることを。
 私の憧れは次々と新しい何かに置き換わっていく。それでも私は香港に通い続けるのか。ネオンの代わりに設置されたデジタルサイネージを見上げ、自分に問うてみるけれど、正直なところまだよくわかりません。

 そんな香港滞在中に読んでいたのが、『香港少年燃ゆ』という本。2019年に起きた香港での大規模デモで出会った少年との3年に亘る交流を、フリーライターの著者が綴ったルポルタージュです。
 15歳の少年ハオロンは、黄之鋒(ジョシュア・ウォン)や周庭(アグネス・チョウ)のような高等教育を受けた青年たちとは違い、教養もなく、やることなすこといい加減、勇武派として民主主義のために闘っていると自負しているけれど、その根拠もあやふやです。でも、その浅はかさも含め、彼は実に少年らしい少年でもある。確かに行き過ぎた暴力行為に及んだのは、こういった少年たちだったのでしょう。けれど、ともすれば一方的な非難に晒されそうな彼の危うさに、著者は、《 賢く理性的で、十分な知識と教養のある者しか政治的な発言ができないのだとしたら、その社会は民主的な社会とは言えないだろう。無知で短絡的で粗暴で直情的な思いもまた、民主的な社会を形づくる一つの意見に違いない。》(第7章別離 306p)と正面から向き合う。このルポルタージュの秀逸な点は、国安法が施行された後の、つまりは実質上運動が敗北した後も少年を追い、描いているところにあると思うのですが、夢破れ絶望しても、ひとは生きていかなければいけないという現実、そしてその現実をその若さで受け止めなければならないという切なさが、読後の胸に痛みとして残ります。

 それからもうひとつ、著者の慧眼にはっとさせられた箇所がありました。
《香港という非常にコンパクトな街は、換言すると、“国外”に出る術を持たない凡庸な人間は、一生このミニチュアのような空間で過ごさねばなないことを意味する。(中略)「とりあえず東京に出たい」、「大阪に出たい」。人生のどこかで、自分の出生地や現在地から離れ、遠くの町で人生を仕切り直したいと思うことは、誰しもあるのではないだろうか。あるいは、進学や就職で、予期せずに仕切り直すことも多い。(中略)日本人を含む多くの国の人々が当然のようにしていることが、香港人にとっては、かなりハードルが高いことなのかもしれない。グローバルに通用する高度なスキルがない人間は、“遠くの町”へ行くことができないのだ。ハオロンのような八方塞がりの若者だったら、今いる場所と違う遠いどこかへ行き、人生を仕切り直すのは決して悪くない選択肢のはず。それが容易ならざることは、香港人の抱く閉塞感や不満の一因になっているに違いない。香港には“上京物語”が存在しないのだ。》(第4章母親 122p)
 私にとって、知り合いがひとりもいない香港は、東京での暖かくも煩わしいつながりを一時(いっとき)断ち切ることのできる場所です。だから、香港にいる私の心の中には風が吹き抜ける。その解放感を、羽田からたった4時間の移動で味わうことができる。だけど、香港のどこかにいる少年ハオロンがそういった場所を手に入れるのは難しい。彼と私は非対称の関係にある。だからどうということでもないのです。けれど、そのことを考えると、香港の夜の街がほんの少しだけ、私には違って見えたのでした。

 久しぶりということもあり、長い手紙になりました。
 次回はもっと短くしますね。それでは、また。来月に。

2023/03/31
長谷部千彩

言葉と本が行ったり来たり(14)『夏』八巻美恵