このところ、夜が明ける前の、張り詰めた朝の気温は零下4度くらいでしょうか。真冬で食料も少ないのか、リスも小鳥も、朝になると餌をねだりにやってきます。幼気というのか、むしろ逞しさすら感じられる小動物たちの顔を眺めながら、あのCovidの時でさえ、粛々と新しい年がやってきたことを思い出します。ともかく誰かが、わたしたちの背中を前へと押し出し続けてくれているお陰で、今日に至るのです。
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12月某日 ミラノ自宅
ジョージア政府、欧州連合加盟交渉の停止を発表。市民は激しく抗議している。この世の中に真実は確かに一つしか存在しないかもしれないが、真実の解釈はおそらく何通りもあって、各人が自らの解釈を信じている。その上インターネットの怪しげな情報と人工知能も入り雑じってしまって、最早真実の審判の基準すら揺らいでいる。われわれは強権政治は悪だと信じているが、あれだけ民主主義と欧州連合を切望したジョージアにあっても、着実に親ロシア勢力が議席数を増やしてきて、現実として与党の座を維持している。選挙に手が加えられているとも報じられているが、われわれのように外にいる人間は、どう理解してよいか俄かにはわからない。少なくとも、以前あれだけ戦ったロシアに対して、シンパシー、もしくは諦観を持って暮らしている市民が一定数いるということだ。それはウクライナでも同じだったのかもしれない。たとえ北海道の一部をロシアが実効支配していたとしても、ロシアにシンパシーを持ってより強い繋がりを望む日本人も出てくるかもしれない。
12月某日 ミラノ自宅
国立音楽院裏の中華風日本料理店で、Mと昼食。焼きソバもどきを食べる。彼も出版社で日本語版「ローエングリン」を聴いたらしい。
「本当にすばらしいヴァージョンだった。最初こそ、日本語で聞くローエングリンは不思議な気がしたが、いつの間にか我々を縛っていた「シャリーノ音楽」の固定観念から解放された、独自の確固たる音楽観が息づいていて、地に足のついた新しい音楽の在り方をしっかり生み出していたとおもう。しかし、あの歌手はなんて上手なんだ。初めて耳にしたときは、旋律がかった声の調子にショックを受けたのだけれど、いや、実際本当に美しいよ。長年バルトロメイの名演奏に心惹かれてきたけれども、今回の解釈は見事にあたらしい世界を切り拓いてしまった。それに、とんでもなく強靭な表現力だよ。実に素晴らしい…」。
12月某日 ミラノ自宅
本当に久しぶりにセレーナに会った。彼女は今年からベルガモの国立音楽院で室内楽を教えている。何も知らなかったが、彼女は、うちの学校から契約を突然打ち切られていて、一年間教職につけないまま、仕方なく国立音楽院の職を探したらしい。最初は南イタリアのマテーラ、そしてスロヴェニア国境に近いウーディネに移り、そして今回のベルガモに至る。今までは教えている音楽院の変更もある程度簡単だったが、教育省の方針が変わり、今後はずっと煩瑣になるらしい。ミラノからすぐ近くのベルガモに来られたのは本当に運がよかった、と安堵していた。数年ぶりに彼女に会ったが、表情がずいぶん穏やかになっていて、誘われるまま昼食を食べにいくと、Poke丼であった。海鮮丼の海鮮が減らされアヴォガドなどが追加してある、ハワイ版海鮮丼のようなもので、最近とても流行っているらしい。わざわざ食べたいとも思えず、今回初めて試してみたところ、決して嫌な味ではなかったが、わざわざ何度も食べたいものでもなかった。
韓国のユン・ソンニョル大統領が、非常戒厳を宣布。事情もよくわからないうちに戒厳令は撤回された。子供の頃、新聞を開くたびに、「全斗煥大統領」と「戒厳令」という二つの単語が躍っていたのを思い出す。
12月某日 ミラノ自宅
息子が、友人のGに伴奏を頼んで、国立音楽院のオーディションにでかけたところ、学外の伴奏者は演奏できないと言われ、その場で、学内の伴奏研究員があてがわれて、事なきを得たらしい。よく聞けば、学内の学生から伴奏者を探してはいけない、と正反対の噂も飛び交っているらしく、混乱を来している。
今日は、学校でレッスンをしていると、突然国立音楽院の指揮科生徒が訪ねてきた。ウクライナ人だという。ぜひうちのクラスにも通いたい、というのだが、今年の入試は9月に終わっているし、クラスに空きもない。そう説明しているのに、なかなか承服しないのに感心する。ブザンソン・コンクールを受けたいが、今年で年齢制限ぎりぎりなんです。初めて会う学生にそう嘆願され、当惑するばかりであった。
昨日も、オーケストラとのリハーサルがあったが、どうしてもテンポが遅くなってしまって、と言うので、メトロノームで練習してみたらどうかな、とささやかな助言をする。
シリア反政府勢力、首都ダマスカスを解放。アサド大統領、モスクワに到着との報道。家族と共に亡命を表明。
12月某日 三軒茶屋自宅
長谷川将山さんの「望潮」を聴く。曲としては何の仕掛けもない、まっさらな楽譜だから、演奏者の全ての行為が、そのまま音楽の構成要素となる。吹いていない時の無音の所作でさえ、空間に彩と音楽を放ってゆく。このリハーサルを聴いて、道山さんはふと「融」を吹きたいとおもったという。その後でプログラムを読み、この曲が「融」を基にしていると知ったときは、音楽のもつ不思議な力を感じたそうだ。平井洋さんの奥さま、尚英さんにお目にかかる。どこからみても心に曇りがなく澄んでいて、わだかまりのない人のことを八面玲瓏(れいろう)と呼ぶそうだが、尚英さんの印象こそまさに八面玲瓏であった。演奏会は両親と並んで座って聴いていたが、父曰く尺八は、山籠りの寂々たる一軒家から洩れ聞こえる、心洗われる音だという。
数日前、間宮先生が他界された。どういう成り行きだったのか、高校に入ってすぐ、作曲の先輩方が受けていた間宮先生の室内楽レッスンに、譜めくりの名目で繰り返し通っていた。バルトークの「2台のピアノと打楽器」やドビュッシーの「白と黒で」などをレッスンしていただいていて、時々先生がさらっと弾かれるピアノが素晴らしかった。レッスン中、いつもすごく緊張していたからか、その他のことは何も憶えていない。
アイルランドが、パレスチナの国家承認をはじめ、ガザでの戦闘に対し厳しい措置をとっていることへの反発から、イスラエルは、在ダブリンイスラエル大使館閉鎖を発表。
12月某日 三軒茶屋自宅
美恵さんから、長野から送られてきた美味しいりんごを3個いただく。浜野智さんが、水牛の本棚に入れてあった「ミラノ日記」と、最初期の「しもた屋」を、最近ロマンサー用に直してくださったので、また読めるようになった。文書でも写真でも楽譜でも、結局は紙媒体で残しておくのが無難には違いない。「しもた屋」を久しぶりに読み返すと、鬼籍に入った友人、先生方の言葉が並んでいる。たとえ、その時の肉声が録音として残っていたとしても、文字で読む彼らの言葉の方が、何故かよりリアリティが感じられる気がする。書いておかなければ、何も覚えていない。そう思って書きつけただけに過ぎないが、文字が静かな起爆剤になって、当時の空気の匂いから辺りの風景まで、魔法のように空間を再現してみせる。楽譜だって、それに近い効果はある気がするが、ここまで具体的ではないだろう。意味があるかどうかは考えず、とりあえず書きつけて、後は忘れておけばよいのだ。意味があるかどうかは、何年も経たなければわからない。
どこから来たのかは定かではないが、息子が賑々しく我々のもとを訪れてから、生活の端々で残す彼の言葉もなかなか奮っているし、感心することも多い。しかしながら、そのほとんどは、文字のなかに封じ込められているばかりで、こちらはすっかり忘れてしまっていた。それは息子に限らず、家族であれば、誰しも同じ経験をしているに違いない。営みというのは、かくも儚くうつくしい。夜、忘年会で、池辺先生が西村先生の残した五線紙について話していらした。
12月某日 三軒茶屋自宅
玉川上水の音大にでかけて、「自画像」について話す。Covidの際、火葬のために遺体を受け容れた市町村の長が、死者に敬意を表して鳴らした弔礼ラッパであったり、当時、街中で鳴り響いていた、低く悲しい弔鐘のヴィデオも流した。演奏を一通り聴いてから何か質問があるかたずねると、一人の妙齢が手を挙げた。「君が微笑めば」と同じ味わいがするのですが、なぜでしょう。
作品のスタイルも方法もまるで違うから、そこに共通しているのは、同じ人間が書いたことくらいだろう。「自画像」では半世紀に亙る人々の諍いを俯瞰したが、次回は一世紀もの人間の営みを、何某かの方法で書きつけたいとおもう。古代や中世の無数の叙事詩の作者たちは、書きながら何を思っていたのだろうか。世界中の無名のホメロスたちに思いを馳せる。
行きは高田馬場から西武新宿線に乗ったが、帰りは玉川上水からモノレールで立川に出て、南武線、田園都市線と乗り換えて家路に着いた。
12月某日 三軒茶屋自宅
家人の弾く、フィオレンティーノ編曲バッハの無伴奏ヴァイオリンソナタ。聴いていると、小学生のころ初めてこの曲を練習したとき、開放弦で同音を繰返してゆくところで、身体が浮遊する錯覚を覚えたことや、短調のフーガにふと浮き上がる変ロ長調のイタリア風断片が鮮烈だったこと、同音ペダルの連続が劇的で胸が一杯になったことなど、さまざまな触感が鮮やかに甦ってきた。10月に息子が弾くバッハを聴いたときは、音の芯が家人と似通った部分がある気がしたが、改めて家人のバッハを目の前にして、母子の個性の差がよく見えて興味深かった。
家人はバッハを弾くとき、敢えて少し音楽を先取りしながら、左手から音楽をつかんでゆく。息子は、どちらかと言えば、右手から音楽に入って、左手は右手を追随する感じだ。家人の左手が大胆に音楽の間口を広げ、右手はその広がった空間を満たしてゆく。そこには、彼女がタンゴから会得した感覚が溶け込んでいる気もする。
息子のバッハはよりストイックで、ひたひた音を紡ぎ出してゆく。ドラマティックな部分の作り方が、ずいぶん違う。
家人はプログラム後半、ヤナーチェクのソナタを弾いた。左手が個性的なオスティナートを繰り返すまにまに、右手が哀切に旋律を歌う。かき鳴らされる悲劇的な伴奏にのって、野太い歌手の声がひびきわたる。
東神奈川から横浜線に乗って町田へ向かった。誕生日に両親とつつく夕餉など、中学生以来ではないか。
海老などをていねいに詰めた海鮮揚げ春巻きが主菜で、絶品であった。父曰く、この春巻きだと、母も沢山食べられるのだという。美味しいシラスやタラコの煮つけ、山芋、数の子、伊達巻、黒豆、ごまめの佃煮も用意してくれていて、ちょっとした正月気分を味わう。今日くらいは一緒にケーキを食べたいと、自分のためにアップルパイを一個購入したが、到底全部は食べきれず、三つに切り分けてもらう。
12月某日 三軒茶屋自宅
JR渋谷駅から海老名行の列車に乗る現実を、浦島太郎の頭はどうにも受け容れられない。渋谷から海老名に行くのなら、新宿から小田急線に乗るはずでしょう。東京の地下鉄も複雑だが、渋谷から東横線に乗ろうとして、また海老名行とか書いてあると、頭の中の地図が混乱して、理解を拒否してしまう。
渋谷から3駅、ほんの数分で西大井に着くのも、皮膚感覚としてしっくりこない。だから理解せずに、ただ乗車して下車するだけ。観光客と変わらない。西大井駅前の江南料理屋で肉をぬいてもらって、酸辣湯麺のランチを食す。美味。
夕方久しぶりに仙川にでかけた。昔、ここで自分が過ごしたのと同じ年代の学生たちが、当時よりずっと明るい服装をまとって、洗練され現代的な校舎に佇んでいる。6人の作曲受講生の作品を実演してもらい、作品と演奏について意見をいう。そのうち2人は中国からの留学生だったが、日本語が上手なのに驚く。そのせいか、ミラノで教えている中国人留学生とは、まるで違う印象を受けた。
2週間ほど前、ミラノ国立音楽院声楽科教師4名が在宅起訴決定と報道された。「イタリア語でのコミュニケーションに不自由な学生に関し」一人につき9000ユーロ(150万円弱)から12000ユーロ(200万円弱)を要求し、不法に入学を幇助、とあった。「伊語の不自由な学生」が、中国からの留学生を意味するのは、イタリア生活の皮膚感覚があれば、なぜか理解できてしまう。「中国人留学生」と書くと人権侵害などの問題があるのかもしれないが、この書き方にもヨーロッパ人の嫌らしさが垣間見られる気がする。
仙川の中国人留学生は、日本語が出来るからか表情も明るく、楽観的にも見える。間違いを指摘しても「ああそうですね!」「ああ、間違えていました!」と楽しそうにしていて、見ていて気持ちがよい。
ミラノの中国人学生たちは、イタリア人を初め、ヨーロッパ人とあまり積極的に交わらない。国立音楽院でも市立音楽院でも、みな中国人同士集っている。指揮の生徒のシャンシャンは、空いた時間は朝から晩まで中華料理屋でアルバイトしているらしいが、学費、生活費を捻出しなければならないとは言え、さすがに本末転倒で可哀想でもある。何しろ中国人コミュニティがしっかりしているため、イタリア語の上達も遅れがちである。
尤も、イタリア生活の長い日本人の同僚曰く、「まあ日本人留学生も、その昔は同じようなものだったけれど」と自嘲した。イタリア語など話さなくとも、レッスンには日本人の通訳が毎回ついていて、袖の下で入学試験で便宜をはかって貰うこともあったという。日本人の羽振りが良かった頃の話だ。同じアジア人の日本人の中にいるほうが、中国人もより溶け込みやすいかもしれない。
演奏学生の演奏からは、こんな感じかしら、と全体の雰囲気をつかんで演奏している印象を受けたが、30年近くイタリアに暮らしていて、自分の音符の読み方も変化していたことに気づく。イタリアの読譜からは、音符の周りの「こんな感じ」というアソビがすっかり削ぎ落されているから、だからこそ見えてくる風景もある。音符の裡に感情をこめず、空間に放たれた音に気持ちを乗せてゆく感じだ。
作曲学生の作品からは、言いたいことを大胆に表現する上で、え、本当に良いのですか、という薄い当惑も感じることもあった。彼らの不安に対して、ええ勿論、良いのですよ、と明るく受け止めるのが、我々年長者の本来の役目なのだろう。
学校だから、あまり羽目を外したことも言えないが、あまりバランスよく音楽を作りすぎると、可もなく不可もない、個性のない音楽として見過ごされてしまう危険もあるから、注意は必要だ。
楽譜のはじめに、テンポこそ数字で指示してあるものの、表情や情感の指示は殆ど書かずに、演奏者の好みに頼っていたので、もう少し情報を増やすようにお願いする。日本語でていねいに指示を書き込んでいた学生には、下手でも構わないので英語なり、ヨーロッパ語で書くことを勧めた。ヨーロッパ語での説明を自らに課すことで、頭の中がより単純で簡潔になり、表現もより演奏者にわかりやすくなる。
12月某日 三軒茶屋自宅
何人もの若い演奏家たちを、かくも無責任に眺めつつ思う。自分にとって、演奏家の魅力は、正しく弾けることでも、速く指が回ることでも、暗譜で弾くことでも、ひとより大きな音が出せることでもなかった。モーツァルトでもシューベルトでもベートーヴェンでも、普通に演奏を聞いて魅力を覚える部分が、表面上のスタイルは違っても、やはり同じように演奏者の魅力として、体の中に沁みとおってくる。それは身体の周りを包み込む、透明な「気」のようなもの。無色のガスの中から、きめ細かい産毛のような繊毛を一本ずつ抽出して、絢爛な見事なガウンを編み上げるのだが、そのガスは生あたたかく、そこはかとなく人肌すら感じさせる。
これを纏って音を出すとき、舞台で弾いている音楽は、空間を介さずに、直接こちらの体内に染み入ってくる。これを纏って弱い音を弾かれると、こちらの身体も微妙に震えて体の底で共鳴する。纏わずに音を出すと、ただの弱い音にしか感じられない。催眠術のようでもある。田中吉史くんに会った。彼らしい思慮深さに溢れる素敵な音楽。
12月某日 三軒茶屋自宅
今年は本当によく働いた。しかし、物事を考えたり掘り下げたり一人でぼんやりしたり、周りを削ぎ落して尖らせてみたり、どれも全くできなかった。その代わり、ちょうどケバブ肉のように寸胴で回転している「思考」は、どんどん周りに過剰な養分を蓄えてゆき、原型さえ判然としないまでになっている。ところが、この年の瀬ほんの数日床に臥しただけで、5キロ近く体重が減って何となく頭もすっきりした。人間の身体は、強靭でもあり柔軟でもある。明日当方がミラノに発つと、その翌朝には入れ替わりにミラノから息子がやってくるので、年末の大掃除を兼ねて、少しずつ休みながらあちこち磨き上げた。
床に臥せていた時、アッバード、スカラ座とモンセラート・カバリエのヴェルディ・レクイエムのリハーサル風景を目にして、思わず泣いてしまった。急激に体力が落ちていて、涙腺ももろくなっていたのだろう。全身で音楽を紡いでいる彼らに対して、心の底から全幅の感謝をおぼえると同時に身体の底が震えて、何かが次第に身体の表面に沸き上がってくるのを感じた。ふと、気が付くと眼球の端から液体がこぼれていた。
この素晴らしい音楽に触れられるという幸福に、ただ感謝したい衝動。体の奥底で突き上げられるような、滾っているマグマのような、これは何なのか。誰なのか。
この瞬間に自分を生かし、音を響かせ、感情の本質を身体の芯に共振させている何か。音を五線紙に書くとき、信じられるのは、このおどろくほど静かな激情のみ。
12月某日 ミラノ自宅
夜23時半過ぎ、最終のローマ・ミラノ便でリナーテ空港に到着する。着陸態勢に入って高度が下がってくると、ミラノの街並みは、ちらちら、めらめらと橙色に燃え立っていた。猛暑の日中、アスファルトから水蒸気が立ち昇って、街が蜃気楼にゆらめくように見える。それを反転させると、冬の真夜中、澄み切った零下の街並みが、暗めの街灯のまにまに儚い輪郭を伴って浮き上がるのだ。果たして、このかそけく明滅する無数の蛍光の正体は、各家庭が用意したクリスマスの電飾であった。気のせいか、昨年よりも少し賑わいが戻った気もする。
家に着いて、紅茶を飲みながらニュースをつけると、カザフスタンで、アゼルバイジャン機墜落のニュースがかかった。カザフスタンも、アゼルバイジャンも、ついさっき通ってきたばかりだし、今頃息子の搭乗機もカザフスタンを出るか出ないかくらいのはずだから、無意識に身体が強張る。同じようにこのニュースに反応した人は、自分だけではないだろう。
ロシア上空が飛行禁止になって以来、日本からイタリアに戻る便は、とても飛行時間が長くなった。いつまで経っても通過しおわらないカザフスタンは、なんて大きな国なのだろうと感心していて、アゼルバイジャンあたりで、ああ漸くヨーロッパが見えてきたと安堵するのが常だ。周辺国では飛びぬけて先進的なはずのアゼルバイジャンで、一体何が起きたのか。
12月某日 ミラノ自宅
零下4度ほどの朝、いつものように運河沿いを散歩しながら、朝焼けに真赤に染まる街並みに見惚れる。藤城清治の影絵とまったくおなじ色調。もえるような巨大なキャンバスに、精緻に書き込まれた家々の屋根が、漆黒の複雑なシルエットになって浮き上がる。
渡邉理恵さんが指揮した、ケルンのデヒオ・アンサンブルの録音を聴く。ファルツィア・ファラアの「いっしょにim selben augenblick」。一見すると短音とその余韻に耳を傾ける時間が続くだけにも見えるのだが、思いがけず、なめらかに続くフレーズ作りの妙に思わず感嘆した。指揮者に見えている風景や方向性が、そのまま演奏に反映しているのがわかる。俯瞰される構造と、ファルツィアらしく、拡大鏡で収斂点の奥底までみせるような、透徹な視座が同居している。
ファルツィアは、自分がテヘランにもどることは出来ない、イランにとって自分は招かざる人間だからと言っていた。そのテヘランでローマのジャーナリスト、チェチリア・サーラが逮捕され、悪名高いエヴィン刑務所に収監されたとの報道が過熱している。逮捕の理由は詳らかになっていない。チェチリアは、イランで虐げられている女性たちの声を集めて、取材をつづけていた。逮捕の前日は、活動を制限されているイランの女性コメディアンを取材していたとの報道もある。
チェチリアは、23年とあるインタビューでこう語っていた。「恐怖と狂乱(パニック)との間には、根本的な違いがあります。恐怖は、ある意味で有益といえるでしょう。なぜなら、自身を守り、集中を助け、目と耳からはいる情報量を高めることから、あなたへの弊害を少しでも減らすことに役立つからです。狂乱、狼狽は、自分が置かれている状況に対して、あなた自身をより危険に曝すことになる」。
アゼルバイジャン機、ロシア軍の防空システムにより撃墜との報道。10年前の7月17日には、マレーシア航空17便がウクライナドネツク州でロシアの防空システムにより撃墜されている。
韓国チェジュ航空機、胴体着陸で炎上。想像を絶する絶望と戦いながら、最後の一瞬まで操縦桿を握りしめて離さなかった航空操縦士諸氏に対し、心の底から敬意を表する。
(12月29日 ミラノにて)