しもた屋之噺(158)

杉山洋一

息子と二人、ローマに向かう機中でこれを書いています。
ここ暫く息子が合唱の端役で出させてもらうカルメンの練習が続き、家人が日本に先に戻ってからは、小学校へは友人に迎えにいってもらい、リハーサルが終る頃にナポリ広場の少し先のスタンダール通りの「アンサルド」に迎えにいくのが今週の日課ですが、とても暖かい日差しのもと、手がかじかむ底冷えに震え上がりながら帰りの路面電車を待っていて、同じ方向に帰る中学生のカルロッタと一緒になりました。

息子が昨日は学校の校外学習でお芝居を見に行ったというと、
「それ私も行ったわ、あのエジプトのお芝居でしょう? それで見るほうもファラオになったり、スフィンクスになったり、色々と仮装させてくれるのよね。楽しいわよね。で、あんたは何になったの?」
「僕はミイラの仮装をしたよ。で、こう手をダランとして」。
「あのお芝居は面白かったわ! でも、それから何年かしてあそこにまた校外学習で行ったときは、それは詰まらなかったわ」。
「へえ、何のお芝居?」
「死刑」。
「ふうん、死刑って何?」
「人を殺めたりしたら、罪をつぐなうためにお前は命をたたなければならない、とか国がきめることね。もっとも、そんなことやっている国は、今どき殆どないらしいわ。ともかく、お芝居がちっとも面白くなかったのだけは覚えているの」。

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 2月某日 三軒茶屋自宅
友人のSが脳出血で倒れたときき、渋谷の駅前でイチゴを買って板橋の病院をたずねる。顔色はいつもよりも赤紫色にみえたが、左脳に出血があったため会話も普通にできて、記憶もしっかりしている。これならすぐに治るに違いない。良かったと安心しつつ、どう励ませばよいか見当もつかない。本人の辛さは如何ばかりか。

夜半に渋谷でみさとちゃんと会い、演奏会の打ち合わせ。最近は何のため、誰のために作曲をするのか、考えるようになったという。消費社会にただ貢献するために垂れ流すように作曲すべきかどうか。考えさせられることが多いという。互いに近親者や親しい友人に色々あっりして、何より命あっての物種だよね、というところに落ち着く。互いにそういう年齢に達しつつある。

 2月某日 グラマシー・ホテル
リハーサル初日。一人一人短いリハーサルをし合わせてみる。全体を大凡8分くらいで演奏してと言うと、ウォンジュンは几帳面に電話を取り出しストップウォッチを使って歌い、クラリネットのリチャードは自由に演奏したいからと何も見ないで演奏した。初めは、互いに同時演奏をする感じだったが、何度か繰り返すうちに、互いを聴き合うことに面白みを発見してくれたようだ。音と音との角がとれて、全体がしっとり有機的に呼吸をはじめると、にわかに室内楽らしく聴こえるようになった。
「スオナの音色なんて真似できないよ、あれはダブルリードだよ」、と当初はどうやって演奏するのかと訝しがっていたリチャードも、ウォンジュンの歌声に寄り添って、様々なアプローチで演奏してくれ、彼の独特のヴィブラートに触発されて、ヴィオラのアンリーンもぺったりした音色やフラウタートやら、胡弓のようなヴィブラートやら、互いに互いの音に近づきながら音色のパレットがどんどん増えてゆく。こんな単純なピアノパートってさ、と笑っていたスティーブも、一つ一つの音を丹念に他の楽器に絡めようと専心していた。

 2月某日 グラマシー・ホテル
今日のリハーサルは、いわゆる貸しスタジオという感じ。細い廊下をほんの5メートルもゆくと突き当たりに受付があって、3つ4つ入口が四方に並んでいる。我々の部屋は入ってみると古めかしい小さな木造の応接間のような雰囲気で、意外な感じ。

練習が終ると、リチャードが「あれクラリネットの蓋がない」という。クラリネットをケースにしまうときに、黒いプラスチックの丸い蓋を管の上と下にかぶせて仕舞うのだが、それが片方見つからない、という。こんな狭い部屋で一体どこに消えたのだろうと訝しく思いつつ、それほど大切なものなのかと不思議に思う。他の演奏者が帰った部屋で、あらためて隅々まで探すと、黒い縦型ピアノの蓋をしめたところに載せてあった。

「これはね、実は自分にとってものすごく大切なもので、師匠から貰った贈り物なんだ。彼は本当に厳しくて、良しと言ってくれたことが一度もなかったけれど、それが嬉しかったんだよ。プロとして活動を始めてからもずっと通っていてね。だから、楽器を開けるたびに、この蓋を取り、蓋をつけながら、彼を思い出すんだ。見つけてくれて、本当にありがとう」。

 2月某日 グラマシー・ホテル
今日はリハーサルが午後からなので、ホテルで少し仕事をしてから、昨日大西くんに教えてもらったイーストヴィレッジの「象と城」まで20分強歩いてブランチを食べに行く。昨日、大西くんとは、互いのルーツ、音楽や文化のルーツについて随分話し込んだ。指揮しにくるのと違って、自由時間が随分長く、身体も殆ど動かさないので、歩かないとどうも気持ちがわるい。随分寒かったが、後で聞くと朝は零下10度くらいにはなっていたらしい。積もった雪は凍りついていて、ビルの合間にはものすごい風が巻き起こり、立っているのも辛いほど。

スモークサーモン入りスクランブルエッグを注文し、巨大なカフェラッテ・ボールを飲んでから、チャイナタウンを目指す。ニューヨークは久しぶりで、最後にニューヨークを訪ねてから10年近く経っているから、土地勘がないのも仕方がないと諦める。前は息子が生まれてすぐのクリスマスのころだった。

雪のなか、チャイナタウンをひたすら歩く。ミラノの中国人街の裏通りと雰囲気は似ていて、それが20倍くらい膨れ上がった印象をうける。国土に比例しているものだと妙に納得する。路地のカソリック教会が開いていたので、暖を取りがてらミサを眺める。中国のキリスト教の数はかなりに上り、多くは地下教会だと読んだことがある。ミラノの中国人街に教会はないので、全てが興味深く、説教しているのは白人の神父だったが、マリア像もキリスト像も中国人の出で立ちをしていて、中国系の年輩の信者たちが熱心に祈りを捧げている。運河通りの角の粥屋からは、もくもくと白い湯気が外に吹き出していて、以下にも美味しそうに見える。もうすぐ正午になろうとしていたから、ニューヨークでは粥は昼でも食べられるらしい。

 2月某日 グラマシー・ホテル
今日も午前中時間があったので、地下鉄で125丁目までゆき、2時間ほどひたすら歩く。地下鉄は手前から地上を走っていたので、雪が降りしきっているのは知っていたが、125丁目の高架駅を降り立つと、吹雪。観光客よろしくゴスペルのミサを見たかったのだが、平日だから無理だろうと諦めていて、ましてや酷い雪で殆ど誰も歩いていない。ともかく教会が見たくて、東に向かって歩き出すと、最初の赤い小さな教会が開いている。こんな時間に何だろうと訝しく思いつつ中に入ると、教会は信者でひしめきあっていた。神父は黒人で、見渡す限り周りは黒人ばかり。

神父の前には木棺が慎ましく置かれている。葬式にしては、参列者に泣いている人もいないけれど、熱心に神父の言葉に耳を傾けていて、仕事を抜けて駆けつけた感じの男性も多かった。きっと、亡くなったのは年輩で、信望も篤い人だったのではないかしら、と想像を逞しくしていると、15、6歳の少女が壇に上り、オルガンとともに聖歌を歌いだした。その歌の素晴らしさに、思わず鳥肌が立ち涙が流れた。

酷い雪だったが、とにかく少女の歌声が身体に残っていて、そのままずっと歩き続けていても苦にならない。路地という路地に、バプテストの教会が文字通り軒を連ねて並んでいるさまに、色々と思いは尽きない。

古い黒人霊歌「この身体を横たえて」を思い出しながら、歩く。
「ああ墓所よ。ああ墓所よ。わたしは墓所を通って歩いてゆく。この身体を横たえるため」。
彼らの過去を思えば、宗教心の篤さは理解できる。たとえ、その宗教そのものが彼らの過去を生み出す要因の一つだったとしても。

 2月某日 グラマシー・ホテル
本番前、楽屋で演奏者たちと雑談していて、ヴィオラのアンリーンが神戸で生れ育ったと聞いておどろく。学校は神戸の中華学校だったそうだが、神戸弁は普通に話せる。
チェロのフレッドが、タッシ時代の話をずいぶんしてくれて、特にユージさんの「この歌をきみたちに」が大好き言うので、四方山話に花が咲く。演奏会後のアフタートークも、フレッドは、この音楽祭は僕らがわかいころ、高橋悠治の「この歌をきみたちに」をやったときから、と切り出した。じゃあ君にとって音楽とは何だいと質問されて言葉に困る。何しろ楽屋では、今朝のお前の朝食の献立を尋ねるから、などと笑っていたから。

 2月某日 三軒茶屋自宅
一日だけ東京に寄った夜、代官山に電車で出掛け、この歳まで一度もこの駅に降りたことがなかったことに気づく。大原さんと吉田さんがオーケストラの収録でのカット割りについて話していて、音楽に映像をつけたくないことがしばしばあるという。カラヤンは音楽の邪魔になるから、自分以外の演奏者が映り込むのを嫌がったそうだ。何でも視覚は相当の割合で集中力をさまたげるのだとか。指揮をしていて、楽譜をみて振るのと、振らないで振るのとでは、耳の容量が随分変わるのを実感しているので、気持ちはよくわかる。

 2月某日 ミラノ自宅
朝起きてダイニングに上がると、庭の前の窓が開いている。その傍らで寝ていたY君曰く彼が開けたのではないと言う。どうやら夜半に訪問者があったらしく、目の前で寝ているY君に気兼ねして退散されたらしい。番犬ならぬ、文字通りの番人だと大笑いする。当然部屋は冷え切っていたが、Y君は寝ていて気がつかない。

トリノまで佐渡さんのフィガロを見にゆき、幕間につまめそうな菓子でもとトリノを徘徊するが、目につくのはチョコレートばかりだった。佐渡さんの息の長さ、深さはどこから来るのだろうと思い、指揮者ばかりを目が追ってしまう。割合常に低いところで振ってらして力が抜けているから、演奏するのもとても楽そうだし、何より出てくる音がとても自然で新鮮な響きをうみだす。息が深いのもそこから分かるけれど、どれも当たり前と言ってしまえばそれまでで、音楽を生業にしているものの意見としては、甚だ心許無い。

その佐渡さんが終演後開口一番、モーツァルトはむつかしいね、と仰ったので吃驚する。
「芝居が深刻なところで、愉快な音が並ぶのは、やっぱり観客の視点で作曲しているからなんだよね。どこまでも計算されていると思わない」
佐渡さんからの口からは何度も「調性感」という言葉が聞かれた。リハーサルまでお邪魔させて頂いたが、ショスタコーヴィチの練習でも彼は調性について話していて、鶴の一声でオーケストラ全体の音の色が見事に揃った。
フィガロを見にいらした小栗さんとご一緒させて頂き、いろいろなお話を聞かせていただく。
歌手やら魅了されたさまざまな指揮者や歌手の話は尽きることがない。オペラは何よりまず演奏だから、と仰ったのが忘れられない。

2月28日 ローマフィミチーノ空港にて