決まっているという事と決まっていないこと

大野晋

1月下旬から2月上旬は、忙しいのと体調がおかしいので全くモノを書ける状態ではありませんでした。メールも書くどころか、読めなかったので多くの方に不義理をおかけいたしました。

2月に気になったことというと、TPP関連の新聞記事で、著作権の保護期間が70年で基本合意間近というニュースが流れたことでしょうか。非親告罪化の話題と一緒に日本の著作権が大きく動きそうな印象を受けました。著作権の延長というと、青空文庫などにとっては悪い影響が思い浮かびますが、ここのところ、本当にそうなのか? 疑問が湧いています。

現在の日本の著作権法は保護期間が著作権者の死後50年。そして、著作権違反については親告罪として、告訴されなければ、違反を問われないという制度のもとで動いています。このため、コミックやアニメに多い二次創作に対しては、厳密に問えば著作権違反となるところ、著作権者側の「お目こぼし」で利用しているという状態です。このため、非親告罪化すれば、著作権違反は著作権者のお目こぼしかどうかを問わず、罪に問われるようになってしまいます。
一見すると著作権が使いにくくなるように思いますが、このようながちがちな状態で創作が進むわけがありません。二次創作がなければ、多くのコミック作家は育ちませんし、サンサーンスの「動物の謝肉祭」やマーラーの交響曲など、多くの作曲家は曲が書けないということになります。そこで、ルールとして、著作権を行使しないケースを明文化することになるはずです。そこが、著作物の利用者にとってはねらい目となるはずです。

現在は、決まっていないが故に、お目こぼしがあることを願うか、または著作権保護期間が切れなければ、著作物は使えません。ある著作権管理団体の悪名高いやり口は、初期の状態では著作権を行使せずにお目こぼし状態で利用させていて、利用が広がるといきなり著作権を主張して、課金を要求するという手口ですが、このような後出しじゃんけんは親告罪として中途半端な状況があるがゆえに起きているわけです。青空文庫が50年を過ぎた著作物しか収蔵できないという状況も、保護期間中に使えるルールがないが故に起きているわけです。要は、決まっていないが故に使いにくい状態になっているのです。

ところが、著作権が70年になり、非親告罪化されれば、中途半端な状態は逆に許されません。明確に、使える状態を定義することをしなければ、著作権は使いにくいものになるからです。これからは、決める中で、使いやすいルールにしていくことが大切になるのだと思います。

文化庁のお役人も、多くの著作権関係者も、孤児著作物の問題は大きいことは認識しています。そして、たった50年であっても多くの著作物が死蔵されてしまう事実も前回の著作権延長に関する検討の中で理解していることでしょう。

決まっていない50年よりも、決めた70年の方が、埋もれる著作物がないように法律が決まっていくように、多くの力を使うべきなんじゃないのかな? と思うこの頃です。