しもた屋之噺(66)

杉山洋一

とんでもない暑さが続いて、流石に扇風機を使い始めたかと思うと、途端に気温が下がって今度は毛布を出したりしています。と思えば、突然もの凄い嵐が吹き荒れて、3時間もすると何事もなかったかのように天気が戻ってきたりします。剥げていた庭の芝が、ようやく生え揃いつつあって、ペットボトルを振り回して新しく蒔いた種を食べにくる鳩や小鳥を毎日追い散らしつつ、元気よく伸びるホウレン草やルーコラを摘んでは新しい料理を考えるのが、家人のちょっとした楽しみになっています。ルーコラなど、生で食べることくらいしか考えていなかったものが、ボウボウ生えて、どんどん食べないことには雑草化する状態になると、いろいろ試す余裕も出てきます。炒めても苦味がちょうどよい塩梅に上がることが分かって、チリメンジャコと大蒜と一緒に炒めて中華だしで味を調えた炒飯など乙なものです。

ここ暫く、ひどく寒い毎日が続いているので控えていますが、暑気にやられていた頃は、毎日芝の水撒きを息子が楽しみにしていて、ホースの水とさんざんじゃれては、通りかかる犬やら近所のおばさんたちに声をかけていました。

イタリアに来たばかりの頃に比べはっきり自覚できるのは、人間の可能性への確信です。本当にたくさんの人に出会って生きてきて、本当に厭だと思える人に会ったことがないのと、周りのひとたちが、見違えるように輝いてゆくのも見て、人というのは、本当にいいものだと思えるようになったのでしょう。このように感じられるというのは、自分がそれだけ恵まれた環境に育ち、恵まれた友人に囲まれて生きている証だろうし、有り難いことだといつも思っているのです。

イタリア人のヴィオラ奏者でPという男がいるのですが、彼は確か今27歳くらいだと思います。18歳まで遊びでヴァイオリンをさわっていた程度で、高校を出たら両親は彼を保険会社に勤めさせる積りで、彼自身ほとんど就職を決めていたところが、青春時代のもやもやから何となく就職もやめ、やることがないので嫌々ヴァイオリンでディプロマを取ったのが21歳くらい。それからヴィオラに転向し、ナイトクラブでタンゴなど弾いていて、自分でも何をしたいのか分からないから、とりあえず作曲の勉強でもしておこうと思い、ヴィオラを勉強する傍ら、2年ほど個人レッスンを受けていたらしい。

ミラノの若いアンサンブルで、ヴィオラをどうしても探さなければいけなくなって、ロンバルディアの田舎に住んで、作曲も勉強している友達がいる。まだヴィオラになって間もないので、楽器に関しては自分のものとなっていないかも知れないが、すごく真面目だし、本当にやろうと思うと、すごくしっかりやる男で信用できる。試してほしい、と言われ、ヴィオラが弾けない男をわざわざ選ぶアンサンブルも変わっているが、自分のアンサンブルでもないし、まあいいか程度の気持ちで会ってみました。現代音楽には興味があるが、自分にはとても出来るはずがないですから、と、とても尻込みしていたのを覚えています。

実際弾かせてみると、決して器用なわけではなかったのですが、人間的にも信用できそうだし、音が太くて良かったので、暫く一緒に仕事をしてみることになり、こうして今まで付き合いが続くことになりました。

それからというもの、人一倍真面目に楽譜を勉強し、こちらが幾ら細かく注文をつけても文句も言わず、瞬く間に上手になっていきました。上手になったからといって偉ぶるわけでもなく、人間的に誰からも信望されて、周りのアンサンブルからも声がかかるようになったころ、ようやくヴィオラのディプロマの試験を受けるとか受けないとか言っていた記憶があります。

そうやって、いつしかあちこちのオーケストラからエキストラに呼ばれるようになり、そうすると、オーケストラのオーディションの招待も少しずつ受け取るになり、今はオーケストラ・ケルビーニの首席として、ムーティなどと定期的に仕事をするようになりました。アンサンブルを振りに来たドイツ人指揮者に引き抜かれて、ドイツ・ケルン放送の新曲録音を頼まれたりするようにもなり、以前のどことなく不安な面影もなく、とても充実しているのがわかります。
「自分の周りにはずっと音楽の才能のある友達が何人もいる。18歳のころ、友人のピアニストのAなど、雲の上のような存在だった。何でも知っていて、何でも出来て本当に尊敬していたのに、彼はこの歳になってもコンヴァトの伴奏研究員で使いまわされている程度だろう。世の中は何て理不尽なのかと歯がゆくなる。何が違うのだろうかと何時も不思議に思うんだ」。

ヨーロッパの人たちは、日本的な器用さを誰でも持っているわけではないので、たとえば指揮のレッスンをしていても、どうにも上手くならないことも多いのです。そのなかで、恐らく最も指揮が不可能と思われていたジャズマンが一人いたのですが、昨日の指揮のレッスンでは、ジークフリート牧歌を上手に暗譜で振っていました。一体何年勉強を続けたことか。とにかく、まだ駄目だといわれても、勉強を続けたい一心でとにかくこつこつと続けてきて、いつしか、彼の顔つきも変わってきました。奇跡とまでは言いませんが、昔の彼を知っている人が見れば、恐らく奇跡と呼んではばからないかもしれません。

人間にはこういうとんでもない可能性があって、その可能性を引き出せるのは本人だけなのだな、奇跡というのは、そんな、とんでもない無限の小さな力が起こすものなのだな、そんなことを、2歳になった息子を眺めながら感じています。

(5月31日 ミラノにて)