3日ほど前、クリスマス・コンサートを終えてサンマリノから戻り、家人が日本に10日ほど戻っていて、息子と二人、静かにクリスマス休暇を過ごしています。先ほどまで庭先の木が見えないほど濃い霧が立ち込めていたかと思えば、今は暴風が物凄い轟音を立てて吹き荒れています。まだ朝の4時過ぎ、辺りは真っ暗で静まり返っています。
サンマリノの演奏会は、前半が4歳から8歳くらいのこどもたち90人と、現代風にアレンジされたこどものうた、後半はジョン・ウィリアムス映画音楽という軽いプログラムで、とても楽しく、心に残る演奏会になりました。この演奏会はサンマリノでは20年以上続いている伝統ある行事で、2名の執政(Capitani Reggentiと呼ばれてイタリアで言う大統領に相当。日本の総理大臣とは少し印象が違います)が揃って列席し、ですから国歌斉唱もあり、テレビの中継も入り、最後は決まってラデツキー行進曲がアンコールで、花吹雪が舞う、という段取りです。当初はウィーンのニューイヤーコンサートよろしくシュトラウスばかりを取上げていたそうですが、近年いろいろとプログラムに変化を持たせ、何度も聴衆からリクエストされていた映画音楽を初めて取上げたとか。
初めて「サンマリノ共和国国歌」をやったわけですが、渡された楽譜には歌詞がなく、どこでフレーズが切れるのかも分かりません。一度こどもたちの合唱の練習を覗いた折、息継ぎの場所などチェックしたので問題はなかったのですが、合唱団との顔合わせのときは、初めてで緊張していて、声もよく出ていないようでしたので、ぺらぺらの楽譜をあちらに見せながら、「一つ頼みがあるんだけどね、貰った国歌の楽譜、何と言葉が書いてないのよ。悪いんだけどさ、ぼくに教えてくれるつもりで、一つよろしく頼むよ」というと、途端に声が出るようになりました。可愛らしいものです。
ちなみに、ピアノを弾いていた合唱団指揮者の奥さんに、もちろん彼女もサンマリノ人でしたが、ちょっと言葉を教えてよ、と休憩中に話しましたら、「ええと、肝要な…誉れ高き…あれれ、どうだったかしら?」という按配で、なかなか美しい旋律はともかく、歌詞は余り浸透しているようには見受けられませんでした。子供たち、あっぱれ!
子供たちのうたは、ボローニャのフランシスコ修道会がつくった合唱団「金貨(ゼッキーノ・ドーロ)」のために1967年に作曲されたPopoff(ポポフ)、La lucciola nel taschino(ポケットに一匹のホタル)、La minicoda(ミニしっぽ)などの童謡が、クリスマス唱歌に雑じって編曲されていて、これが実に味わい深く、素敵なのです。
「黒猫のタンゴ」など、「みんなのうた」を通して日本や世界各国に紹介された「金貨」合唱団のレパートリーは多いです(「黒猫のタンゴ」の「原曲の原曲」は「モダンタイムス」でチャップリンの歌う「ティティナ」)が、この3曲は日本では未紹介のようなので、何方か上手に訳をつけて「みんなのうた」に持ちかければ、とお節介が頭をもたげるほどでした。ちなみに「ポポフ」は、「カリンカ」風にイタリア人が書いた、40年以上経った今も歌い継がれる名曲で、イタリアでは誰でも知っている童謡とのこと。
ボローニャの子供たちにとって、「金貨」合唱団はやはり憧れだそうで、入団試験もとても難しいと聞きました。今や「金貨」合唱団がテレビに登場するのが、クリスマスの風物詩になっているほどです。
「内気なぼくは猫や犬なんて飼えないけど、ポケットに一匹、大切なホタルを入れているんだ」と、寂しげに短調で始まる「ポケットに一匹のホタル」など、小さい子供たちは感情移入して、泣きそうな顔で歌い始めるのです。その後、ホタルが自分を照らし出してくれて長調に転ずるところで、顔の表情が活き活きと漲り、いきおいオーケストラの音色もがらりと変化しました。
練習のとき、誤まって「じゃ次は『レ・ルッチョレ(蛍)』ね」と言うと、小さな女の子に「違うわよ、『ラ・ルッチョラ(一匹の蛍)』よ」と、いみじくも直されてしまいました。ポケットにたった一匹ホタルがほんのり明かりを放つのと、沢山のホタルが賑々しく明滅するのでは、意味が全く違いますから。
ジョン・ウィリアムスは、E.T以外、スターウォーズ、スーパーマン、ハリーポッター、ジュラシック・パーク、インディージョーンズなど、個人的に映画には馴染みがありませんでしたが、特に、アレンジャーや弟子の筆が加えられていない、ウィリアムスオリジナルのスーパーマンとジュラシック・パークのスコアは、明らかに他の作品と格段の差があり、並々ならぬ才能を実感させられました。
これらオリジナルのスコアには相当難しいパッセージも散見されるのですが、これらを捨て置かず地道に練習してゆくと、思ってもみなかった効果が現れたりするのです。明らかにスタジオ録音を念頭に書かれた、ラッパ4本に対しフルート2本というアンバランスなオーケストレーションで、結局は金管が咆哮するのだから、このパッセージを丁寧に演奏する必然性があるかと疑いたくなりますが、早いパッセージのぴたりと焦点があうと、別の模様がさっと浮き上がってくるのです。こうなるとオーケストラの方が面白がって、互いにどんどん聴きあい、寸時を惜しんで個人練習を積んでくれて本番は見事な演奏になりました。
或る日練習の合間の食事休憩のとき、控室で着替えて廊下に出ると、隣の部屋にフルートのクリスティーナやオーボエのロレンツォ、インペクのローモロなどオーケストラの6、7人が集まっていて、一斉に手招きするので何かと思うと、何とそれぞれ美味の食事を持ち寄って立食パーティーをしているのです。ほらこれを食べなさいよ、これも食べて、味見してみて、と大変な騒ぎで、乾燥ラードのような珍味にまでありつけました。前菜のサラミから主菜を経てデザートのフルーツや自家製のケーキまで、全て揃っているのには驚かされます。流石は美食家の多いエミリア・ロマーニャ地方だけのことはあります。
ホルンのジョヴァンニが作ってきた自家製のワインまであって、何度も勧められたものの、練習の前には流石に呑めない、呑んだら寝てしまうと言い、一杯だけ紙コップに注いでもらって控室に持帰りました。その日無事練習も終わり、控室で残っていたワインを呷ると、強烈な酸味で目が覚めました。先ほど、なかなかワインのボトルが空かなかった理由もこれでわかりました。
とはいえ、お陰でとても心温まる、素敵な誕生日になった、と残っていた手焼きクッキーを齧り、教会に掛かるクリスマスのネオンを眺めつつ、深夜のホテルに戻りました。