しもた屋之噺(94)

杉山洋一

今朝メールをひらくと、ヨーロッパでの仕事をおえて東京にもどられたばかりの細川さんより、ちょうど一年ほど前、演奏会後にパリのブラッサリーで一緒に撮った一枚の写真がとどいていました。

一緒にうつっている望月嬢とは、結局6月に東京で一緒に食事をしたきり、あとは電話でしか話していないし、在オランダの今井嬢も、6月末にやった東京での演奏会へ顔をだしてくれて、演奏会後一瞬立ち話をしたきりですが、何でも、最近アムステルダムで二人は再会を喜んだばかり、とメールをもらいました。彼女たちの国際的な活躍ぶりはご存知のとおりです。

その傍らでほほ笑んでらっしゃる岡部先生には、8月に東京でずいぶんお世話になったので、久しぶりという感じもしませんし、真ん中にゆったりとすわってらっしゃる細川さんは、夏に東京でお会いしただけでなく、9月に、細川さんをフューチャーしたミラノの音楽祭で何度もお目にかかっているので、ミラノの街の匂いとあいまって、不思議な親近感をおぼえます。

この演奏会にはちょうどリトアニアの自作演奏会に向かう途中の湯浅先生がお立ち寄りくださって、直前にいきなり連絡したにもかかわらず、千々岩くんも遊びにきてくれて、打上げまで付き合って、美味しい生牡蠣をたらふく食べたのが、まるで昨晩のことのよう。嬉々として牡蠣を食べる千々岩くんの次の姿は、サントリーの舞台でオーケストラをバックに、堂々とコンチェルトを弾いている、颯爽としたヴァイオリンニストそのもの。湯浅先生にこのあとお会いしたのは、6月に桐朋の練習にいらして下さった折でした。それから8月にも東京でお会いしました。

あさってから練習の始まる武満の譜読みをしていて、思わず思い出すのは、ちょうど1年前、9月末にジュネーブで、今井信子さんとあわせをしていたときのこと。彼女も同じミラノの音楽祭にもうすぐいらっしゃいます。お目にかかるのは1年ぶり。あのときの感触を思い出しながら、自分なりの武満さんの作品の手触りを懸命に感じようとしています。武満さんは、楽譜に書かれている表示より、ずっと骨太の音楽を欲していた、という今井さんの言葉は、たぶん一生わすれられないとおもいます。

同じ演奏会で作品を演奏する田中カレンさんと6月、渋谷の場末のそば屋で再会したのは、何年ぶりのことだったでしょう。最後にお会いしたとき、まだ大学生だったはずだから、18年くらい経っているかもしれません。話し方もしぐさもあのときのままで、別れ際にどうしても渋谷のスクランブル交差点をバックに記念写真を撮りたいと頼まれたのが新鮮で、練習や本番中でも、ふとした瞬間に思わず思い出してしまうかもしれません。

先日、ミラノでの「班女」の再演にかけつけて、8月の東京に続いてお会いしたソプラノの半田さんとも、落着いてお話したのは10年ぶりで、気がつけば、息子さんはもう高校生になられたとか。
愚息をつれ、ドームの天井上の散策にご一緒していて、思わずうちの4歳の子供を眺めて目を細めていらしたけれど、少しその気持ちが想像できるようになりました。

こうして古くからの日本の友人に会おうとすると、普段はヨーロッパの辺境に住んでいる上に腰も重く、よほどの機会でもないと実現しませんが、会うたびにみなさん見違えるように立派になっていて、感嘆することばかりです。自分の周りの人とのつながりに関して言えば、それぞれ半径の違う周期の惑星の定点観測のような感じでしょうか。

立派になって、と言えば、指揮を一緒に勉強しているカルロが今月はじめ、グラーツの指揮コンクールで優勝し、同じく一緒に勉強しているジョヴァンが、指揮ではないけれど、作曲で入野賞を受賞したのは、本当に自分のことのようにうれしいニュースでした。

今年一年、ひょんな流れで、学校をやめた師匠の意志をつぎ、学校から離れて手探りでレッスンを続けてきて、ようやくささやかな指標をみつけた感があります。空白期間をうめるべく、分不相応を承知で引き受けたのは、自分を含め、15人ほどの生徒全員が、師匠から学んできたアプローチを何がなんでも絶やすまい、という明確な目的意識と強い結束があったからこそ。

ですから、カルロの優勝が生徒全員にどれだけ強い希望を与えてくれたか、言うまでもありませんが、成り行きで嫌々指揮を学びはじめたはずの自分が、気がつくと妙なところに足を突っ込んでいたりして、人生とは本当に不思議で一期一会かな、と初夏の日差しに映えるクラスの集合写真など、感慨深く眺めてみたりするのです。

(9月29日ミラノにて)