オトメンと指を差されて(12)

大久保ゆう

男の子の夢というと、ある種、荒唐無稽なところがなきにしもあらずなのですが、オトメンはどちらかというと普通の男の子よりも現実的な人たちですので、その夢は壮大でありながらどこか実現可能性を残しているようなものになりがちです(たぶん)。

たとえば私の夢で行くと、いわゆる旅人系なのですが(わかりやすい!)、「世界じゅうのいろんな国を歩いて、そこで見つけた本を持ち帰って翻訳する」というやつです。

翻訳家の使命というと色々の人が様々にしゃべっていたりするのですが、私としては「つながっていないところをつなげる」というのが翻訳者の役割だと思っております。世界じゅうにはまだまだつながっていないところがたくさんあり、そして翻訳されたがっている未発見の本が無数にあると思うのです。もちろん翻訳というのは、何かを解釈し、理解し、それを自分の身体でもう一度語り直すという行為であるわけですが、translationと言葉の語義通り、単純にどこかからどこかへ運んでくる行為だって翻訳の一部で。

そこで自分の足で世界じゅうを歩き回って、そういう本を見つけては、日本語に翻訳できればこれほどいいことはないなあ、と考えています。それにこれまでの経験上(あるいは理論上)、何語でも頑張れば翻訳できないことはないとわかってきたので、言葉に関する障壁はさほどないですし。

そうすると、その夢を実現するために必要なのは……とすぐ思いをめぐらすのですが、

1.旅費を確保すること
まず世界じゅうを旅するのでお金はいるでしょう。いくらバックパッカー風の旅をするにしても、先立つものは要ります。もうバブルの時代でもないのでそんな酔狂なことに出資してくれるところもないでしょうから、一年に数カ国くらい回れるくらい収入に余裕ができてきたらすぐにでも始められるかも。

 2.その本の出版に力を貸してくれそうな人と仲良くなること
少なくともその翻訳書はビジネスとして出版されるはずなので、私本人にも目利きとしての力だったり相手を説得する能力だったりも必要なのですが、そもそも本として出してくれるところがないとダメですよね。出発する前にそういうことに興味を持ってくれそうな人が知り合いに多ければ多いほど実現へ近づくかも。

 3.あるいは翻訳家として有名になること
これは「つなげる出口」という意味で大事で、誰々の訳す本だったらよくわからないけど読んでみよう、と思ってくれる読者がいてくれることはけして悪いことではないのだと思います。村上春樹さんや柴田元幸さんの翻訳史における重要性っていうのは、単に能力や質の問題だけではなく、そういうところにもあるわけですし。

 4.そのほかにも
もちろんそれだけの日程的余裕を確保するためには、会社勤めの人間では無理。フリーランスでなければしんどいだろうし、なおかつフリーランスの翻訳家として活動するためには……

……などと冷静に考えつつ、今の自分までレールを引っ張って、そこへたどり着くまでのステップを明確なヴィジョンとしてあらかじめ描いてしまいます。さらにそこに困難なところがあれば、常に現実的に遂行可能な程度までに修正する、と。

でも、夢だといいつつもそれが全部自分の欲望から出たものかというとそれもまた違って、ほら、「楽しい世界」とか「平和な世界」とか、世界がそういうものであればいいなとはいつも思っていて、そのために自分ができること(やって面白そうなこと)を考えたときに、そのいちばん大きなところへ向かいたいな、とは思うんです。

なので、青空文庫で作品を入力・校正するときも、クリエイティブコモンズライセンスで翻訳するときも、こういうものがここにあればもっと楽しかったり平和になったりするんじゃないか、というところがそれなりに念頭にあります。それでなおかつ自分も楽しかったらいいよね、みたいな。それでその規模がだんだんと大きくなるような努力は常にしておく、と。

だからこの『水牛(通信)』の始まりの始まり方がとても大好きなんです! と宣言して無理矢理オチをつけてみるなどする(でも嘘じゃないですよ)。