オトメンと指を差されて(48)

大久保ゆう

わたくしがいつも妄想をたくましくしているモノのひとつに、〈翻訳村〉というものがあります。

翻訳の歴史のなかでは、そのときそのときで翻訳者が集まっている〈場所〉がとっても重要なものとしてあったり致しまして、たとえば江戸末期の長崎とか中世スペインのトレドとか、あるいは紀元前のローマに唐代の長安、はたまたアッバース朝のバグダードから古代アルメニア王国のヴァガルシャパトに至るまで。

実際に存在するのはギルドだったり機関だったり学校だったり施設だったり色々なのですが、いずれも、おおぜいの翻訳者のいるところ、何かしらの文化が準備され、その仕込みがのちの熟成につながるという例です。

そういったものを範にした〈翻訳家コレギウム(コレージュ)〉というものもある国にはあって、ある国の本を訳したい人がその国の翻訳家向け施設を訪れて滞在して、備え付けられてある資料や辞書などを利用したり、他に留まっている同業者と交流したり、そういったことの便宜を図るもので――そもそもはそのようなものが日本にもあればいいな、というのが妄想を支える理由のひとつ。

とはいえただ単なる施設では規模も小さくて影響力もあれなので、もうひとつ。ただいま様々なところで村おこしとか特区とかが考えられておりますが、そういう手として、今後は〈翻訳〉に特化させていくこともありえるのではないだろうか、と。国内の翻訳者が住み、海外の翻訳者も気軽に訪れて仕事ができるようなところ、そういったところとして〈村〉ってありえないかな……と。

それもそれも、そこが〈温泉〉だったりなんかすればもっといいんじゃないかなって。集まるにしても、何かしら日本らしいところの方が惹きつけられるんじゃないかな、などと考えてみると、昔から文士と温泉はこの島の文芸と密接な関わりがありますし、特色があれば海外からも人を呼び込みやすいかなと。これからやれ国際化だグローバルだなどと言われておりますが、それならばやはり翻訳も振興されてしかるべきでして、そういった基点となるべく〈翻訳温泉村〉なんかがあれば面白いんではないかなとわたくしは思うわけですよ。

翻訳家の住まいと滞在先、充実した図書館と翻訳学校――そこでは一週間の翻訳体験などもでき、かつての翻訳家を顕彰する施設もあっていいかもしれません。学会やシンポジウム、一般向けのイベントもできる講堂も必要かも。観光地になるのかどうか、という疑問に対しては、すでにホームズ訳者の延原謙のゆかりから軽井沢に像が建てられており、赤毛のアン訳者の村岡花子の記念館もありますから、前例がないわけではありません。

もし本当に日本に〈翻訳文化〉なんていうものがあって、この国のあり方を指し示しているのだとしたら、そういうものを凝縮した場所だったりそれだけを研究する機関があったりしていいと思うんですけどね。

しかしながら実現には高度に政治的な振る舞いとそこはかとない計画が必要でしょう。具体的に考えると、まず少数の翻訳家グループが個人または集団である温泉街を定宿にし、そこで翻訳をしたり仲間内のイベントなどをしたりし、翻訳者特有のお願いなどを宿にお願いしたりして徐々に認知され、そしてそのうちのひとりがにわかに売れたり名声を得たりなどして温泉街のことをエピソードとして語り業界内に周知させ、温泉街に翻訳ありきの機運を盛り上がらせた上で、さらに人を呼び込み、そこから地方自治体などの予算で施設を作り、翻訳者はおのれの成果物をそこへ寄贈することで宿泊などお得な割引が……

と、ここで自分が自分に反論。

この妄想には問題点があります。まず第一にいかんせん昭和的であるところ。そもそも21世紀にもなって翻訳者の集うところというのが地理的に存在するところでいいのか、という疑問。普通に考えるなら、21世紀の歴史に刻まれるべきところとしての〈翻訳者の居場所〉はインターネットの方が面白いはず(早くネット上のPD和訳のリンク集欲しい)。

あと翻訳者(翻訳志望者および翻訳ファン)は果たして村の経済を支えるほどの人口があるのか。

プラスお前が温泉入りながら訳したいだけじゃねえか。

はい論破されましたおわり(妄想も終わり)。