実験の続き

高橋悠治

時間の線に沿った音、響きの線、響きの揺れ動くのを書き留める、できるだけ少ない記号を使って。音の長さは周りの響によってその場で決まる、というか、その場でも決まらない、といった方がいいのか。一歩、次の一歩、一歩ごとの方向、目標や意図のない動きから、思っていなかった音の集まりが見える。

と期待して、試してみても、何も見えてこない。1950年代のセリエル、理論めいたこと、クセナキス、ケージ、響きの好み、武満、まったく違うが、小倉朗、ある種の潔癖さ、それらの混ざり合った状態から脱け出すのは難しい。だが、そんな必要があるのだろうか。

言いさし、ためらい、フレーズの中断、その時の突きと返し、あしらいと見計らい、そうした小さな発見を連ねて、思いつくままに、ピアノを弾いていくように、紙に書いていく。そんな試みを2021年の “Ion” のスケッチを見ながらクラリネット、ヴィオラとピアノのための『Ion 移動』と2022年の無伴奏ヴィオラのための『スミレ』を書いた。

今度は、ことばに頼りながら、歌の線を書き、ことばの切れ目とフシの切れ目をずらしながら、書き続ける、というふうにして、世阿弥のことばによる『夢跡一紙』(2023年)を作ってみる。

芭蕉の連句のように、付きと転じを繰り返しながら、始まりのフレーズから離れていく。「付き」は元の句の変形、「転じ」は前句と並べて繋がればよしとする。それ以上の定義は、「転じ」かたを縛ってしまうだろう。

今年は、アンサンブル「風ぐるま」のために「白鳥(しらとり)の」を作ってみた。万葉集から大伴坂上郎女の歌2首と笠女郎の歌1首、楽器の組み合わせを変えながら序と間奏2つを書いて、演奏してみたが、どうだったのか。