ゆれうごく格子

高橋悠治

毎年夏の暑い時に 秋のために作曲したり練習したりする日々がつづく 今年は録音もあり ほとんど休みなくはたらいていた これでは考えたり 感じる余裕もないと思いつつ いくつかのちいさな発見で 他のことを忘れる

作曲したのはジュリア・スーのためのピアノ曲『夢蝶』 陳育紅の詩の 日本語のように仮名がまじらない 漢字だけのイメージから音のうごきが見えてくるののか 周蝶夢はもう一人の詩人の筆名であり 莊子の一節でもある 蝶の夢と夢の蝶は どこか似ているそれぞれの世界にから 回りながら現れ 消えてゆく もう一つの世界を忘れるのが この世界のたのしみ

8月はずっとウィンドオーケストラの曲を書いていた 全体の空間はトーマス・タリスの40声部の合唱曲 Spem in Alium の構図から思いついた 楽器群のあいだを移動する線が辿る方向や 線をよりあわせて ゆるやかに束ねた織物が 輪郭を変えながら ゆれうごく格子をくぐりぬける 流れの変化 ちいさな渦 タイトルの『透影』は几帳を透かして見える灯影 『源氏物語』のことば

録音したのはサティ 息づかいと そっと音に触れる指の感触 慎ましい白の ためらう歩み 青柳いづみこと連弾したストラヴィンスキー 『春の祭典』と『ペトルーシュカ』 手のうごきを内側から感じる こどものたのしみ 瞬間にはじける即興