記憶と夢へ

高橋悠治

8月18日富山妙子が亡くなった 最後に会ったのはいつだったか 通りを隔てたケアハウスに届け物をすることはあっても 立ち寄ることをしなかったのは なんのための遠慮だったのか

1976年に林光と黒沼ユリ子の録音を林光のかわりに編集したのがはじまりで その「しばられた手の祈り」をピアノの変奏曲にして以来 スライドから映像 版画 コラージュを使った絵巻物の音楽を作ってきた 1980 年5月光州の「倒れた者への祈祷」 1986年「海の記憶」 1995年「20世紀へのレクイエム・ハルビン駅」 1998年「きつね物語・桜と菊の幻影に」 2009年「蛭子と傀儡子 旅芸人の物語」 2011−15年「海からの黙示」まで そして2016年の「終わりの始まり 始まりの終わり」はギヨーム・ド・マショーのカノンのタイトルから思いついた油絵「始まりの風景」が残されている https://tomiyamataeko.org/

メキシコ ブラジル キューバ インド ひとり旅 記憶の海 今年3月から8月末までひらかれた韓国延世大学博物館・東京大学東洋文化研究所主催『富山妙子の世界 記憶の海へ』展覧会  5時間22分の開幕式記録がある 日本語版はこれ  https://www.youtube.com/watch?v=s9KXZxyL58g

筑豊炭鉱にひとりで行って描いた絵からしばらくは ドイツのケーテ・コルヴィッツのように知的な黒い版画だった いつ頃からか 色彩や神話世界がよみがえってきたのは アジアの感触と手の舞う曲線 感情の暖かさ 荘子の笑い フェミニズムと東南アジアや中南米の先住民の表現を背景に 近代と戦争を越えてゆく夢のひろがり