日本のニュース記事など何気なく読んでいて、「日本のような先進国が」とか、「先進国だが」という文言が目に付くようになりました。自分が気が付かなかっただけで、今までも普通に使われてきた言葉かもしれませんが、何度も立て続けに目にすると、少しぎょっとさせられます。
トニ・モリスンを読んだせいか、「先進国」という言葉の裏に、現在まで曳きずってきた長い影を、これから未来に向けて伸びる防潮堤のような巨大な黒い影を見出して、暗澹たる思いが過ります。
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8月某日 ミラノ自宅
予定から大きく後れて、漸く自作の譜割りを始め、自分にとって、作曲は対位法的横軸の作業、指揮は時空間を区切る縦軸の作業と改めて気づく。これら二つは実際あまり交雑しないので、指揮するため自作を読む作業は非常に苦痛だ。知っているつもりの作品なのに、気の遠くなる譜読みしなければ演奏できない、無力さ。
作曲したいのに、良く知っている筈の自作の譜読みに時間と集中力が吸取られてゆく。
水とタンパク質と何某による細胞から、人体が形成されていると知っていても、完成した人体をデッサンや彫刻で表現したり、その人体を使ってバレエや演劇を成立させる上で、水とタンパク質云々の知識は役に立たない。
他者の作品を譜読みするのは、さまざまな発見があって愉しみもあるが、自作の場合、読み込んでいっても発見はない。どうしてこう書いたのか疑問が残るだけで、答えてくれるものも誰もいない。自分が想像した答えが、そのまま正答になるのは、ちょっと虚しい。
作曲しているときは、或る種のフロー状態にあるから、譜読みをしている自分とは別の人格なのだろう。無関係ではないが、指揮する自分とはあまり接点がない。
ところで、アンゴラとクメール共和国の国歌が同時に鳴る機会など、他にあるだろうか、妙なものだ。
8月某日 ミラノ自宅
家の裏を走っているミラノからアレッサンドリアへのびるローカル線だが、8月の閑散期に運行を休止して、朝から夜中まで保線作業をしているので、その作業を眺めて気を紛らわせている。
階下で仕事をしていて、向こうから近づいてきたディーゼル音が壁の向こうでとまると、今日は何の作業かしらと、思わず仕事の手を止め、作業の様子を見物に階段を昇る。
木製の枕木を剝ぎとり、専用の車両でコンクリート製の枕木と交換したり、長い貨車を連ねた車両が、ものすごい砂煙を立てながらバラストの砕石を猛烈な勢いで線路に敷き詰めるさまを眺めるのは、なかなか痛快だ。
日本政府は、Covid19中等症患者を今後自宅で治療と発表。息子は朝8時にPieve EmanueleのHumanitasでファイザーワクチン二回目接種完了。このあと副反応で熱が出てくると、明日に予約したPCR検査が出来なくなり気掛かりだ。
8月某日 ミラノ自宅
日本に帰るため、ミラノのシティライフにてPCR検査。息子は初めての鼻からのPCR検査で怖がっていたが、すんなり終わった。何度もやっているこちらは、相変わらずえずいて洟がでて、息子と看護師に笑われる。
夕方には国の保険局から携帯電話にメッセージが届き、陰性とのこと。
国の検査機関でなくとも、PCR検査の結果は一括して国で管理されているらしい。息子のグリーンパスも携帯電話に届いた。
8月某日 ミラノ自宅
フランス国際放送のラジオを聴いていると、「世界の街角から」特集の最終回に、「出来すぎた街」と題してオリンピック開催中の「東京」が登場。
電車は時刻通りに走り、人々は一刻も時間を無駄にせず、互いに効率よく過ごせるよう腐心する。
欧米で既によく知られる「Hikikomoriひきこもり」に続き、日本では「孤独死」が問題になっている。
特派員曰く、会社員は仕事が終わると「飲み会」で親睦を深め、その後「ガールズバー」に出かけて妙齢とよもやま話に花を咲かせる。女性司会者がそれは売春宿かと尋ねると、特派員は、妙齢に話相手になってもらうだけだと笑った。「孤独死」や「自殺率」が高い日本社会のつながりの危うさを言いたいらしい。
欧米で知られる「Kimbaku緊縛」のようなサド・マゾ趣味を始め、日本は放埓な性風俗でも知られるが、たとえばデモ隊などとても平和的でフランスとは違うそうだ。オリンピック反対を叫ぶデモ隊も、警官隊の先導をうけ、感染症対策を施しつつ秩序正しく行動する、と感心している。
ところで、最近日本と近隣諸国との軋轢が深まっているが、英語のみならず、必修第3外国語として韓国語か中国語、露語を小学校か中学校から勉強させたらどうだろう。長い目で見れば、相互理解と政治戦略に一番有益ではないか。
イタリアでも、中学校からは英語の他、仏語、西語、独語のどれかを学ばなければならない。在日中国、韓国人の地位も需要も、将来的に大きく変化する可能性もある。
8月某日 機中
イタリアでは、8月6日から食堂に入る際などグリーンパス提示が義務化された。立飲みの喫茶店では不要だが、レストランのようにテーブルで食事を摂る場合は、提示が義務だという。
どうせ口だけだと高を括っていたが、空港で息子と昼食を摂ろうと食堂に入る際、本当に二人ともグリーンパスのQRコードをスキャンさせられて吃驚した。観察していると、確かにQRコードがなく断られている客もいて、空港に入る際、既に陰性証明書は提示しているから充分だと思っていたが、そんな甘いものではないようだ。
今日のところ、物珍しさから、客は概ね面白がってQRコードを読み取らせていたが、我われの行動は、こうしてより詳細に国に報告され、管理されてゆく。仕方がないとは言え、そこはかとない末恐ろしさを禁じ得ない。
空港で新聞を購い最新の決定事項を読むと、教師のワクチン接種も義務化され、法を犯せば3000ユーロまでの罰金、とある。
ミラノからフランクフルトへ向かう途中、アルプスを少し超えたあたりで、こちらの機体の直ぐ上を物凄い轟音を立てて別の航空機が横切って行った。こんな体験は初めてで、まさかこれは所謂ニアミスではなかったかと後で鳥肌が立ったが、素人の思い過ごしと気にしないことにする。
ともかく無事に搭乗できてよかった。
8月某日 三軒茶屋自宅
浦部君から連絡あり。ピンチャーさんのリハーサル代振りを頼まれたと聞き、心底嬉しい。新しいチャンスの切っ掛けとなるよう切に願っているが、彼ならきっと大丈夫だと確信している。
こちらの譜読みは相変わらず牛歩を引き摺ったまま。以前は大学の授業もずっと少なく、毎日時間を持て余していたから何とか間に合っていたのが、今のように立て込んでくると、自らの能力不足を恨めしく思うばかり。
仕事の合間、ラジオで室生犀星の「或る少女の死まで」の朗読を聴き始めると、面白くて止まらない。音になって、本来の日本語の美しさはより際立つ。
トニ・モリスンの「他者の起源」を読みながら、自分が作曲したり、演奏する意味について考える。そこに何か意味を発生させられるのか、何もできないのか。
「他者の起源」は、現在までのアメリカの黒人奴隷の歴史を紐解きながら、我々が誰しももつ暴力性や二面性、その他さまざまな惨たらしい感情の発露について問いかける。
8月某日 三軒茶屋自宅
アフガニスタン・ガニ大統領出国のニュース。タリバンによりカブール陥落。米軍の輸送機に犇めく人々の顔。
「自画像」を書いた半世紀間に、アフガニスタンは3回国歌が変更された。一番最近の民主政権下の国歌は、またその一つ前のタリバン政権の国歌にとって代わられるのだろうか。それとも、また新しい国歌が制定されるのか。国歌は、権力や国威発揚の象徴でもある。香港の民主化運動組織解散。「自画像」で使った香港の代表的州歌は、今や歌うことも禁じられている。信じられない。
イタリアとオーストリアの境にある、アルプスの麓ボルツァーノに仕事に出かけると、いつも劇場前にある場末のアフガニスタン食堂に入り浸っていた。
肉が食べられないし、魚料理は少ないから、あの地方のイタリア料理はあまり食べるものがなく、屋号には「インド料理」と書いてある、この、小さなあまり見栄えのよくない食堂で、白米に野菜を載せて、毎日食べた。これがインド料理とは思えなかったので、どこの料理かと尋ね、アフガン料理だと話が弾んだことから、店主と話すようになった。ここにはアフガン人やパキスタン人が集うんだ、と毎日色々とサービスしてくれた。
正直に言えば、まだ9.11の恐怖は残っていたし、フランスなどでイスラム過激派のテロが多発していたから、ここがそうしたテロ組織の温床だったら、との思いも過ったが、それならそれで、寧ろここは安全に違いないし、彼らの片言のイタリア語で、熱心にイスラム入信を勧められても、簡単に断れそうだったし、何より、食事が驚くほど美味だった。
甘くて温かい紅茶と一緒に、ピラフのような料理に毎日違う野菜の煮つけを載せ、ヨーグルトで和えた辛い爽やかな香りのソースをかけて喰らうのだが、大変美味だった。イタリア人客は皆無で、文字通り、アフガン人やパキスタン人が家族で屯して静かにお茶を啜っていたりして、居心地が良かった。
オペラをやっていた頃は、一ケ月近く滞在することもあったから、イタリア語はあまり通じなかったが、随分話し込んだ。
以前に比べれば、アフガニスタンの治安はずいぶん良くなったが、経済は未だ立ち遅れていると話していた。自らのペルシャ文化をとても誇りに思っているようだった。
イタリアに来る前は結構大変だった、と体格のよい初老の店主がぼそっと話したこともある。
8月某日 三軒茶屋自宅
オランダのハリー経由で、ヴァンクーヴァ―のリタ・ウエダさんよりお便りが届く。トニ・モリスンとはまた少し傾向が違うけれど、数年前に、ヴァンクーヴァ―の日系作家、ジョイ・コガワの詩に基づいて曲を書いたことがある。リタは偶然その演奏会も聴いていたそうだ。
やはり、幼少から「他者」を意識して生きなければならなかったジョイ・コガワの文章は、「他者」との距離が、どこまでも深く続く、鈍い属音ペダルのように響く。
自分が「他者」や「社会」を意識するのは何故だろう。長くイタリアに住んで、もう15年以上もアラブ人地域との境で暮らしているからか。イタリア社会に特に同化したいとも思わなくなり、不思議な浮遊感と遠近感との距離感のなかで、ごく個人的な営みとして、自らの文化背景と対峙しているからか。
日本に戻っても、かかる浮遊感と距離感が消失しないのは、逐次更新し続けてきたはずの自分にとっての日本社会が、本質的には25年前のまま止まってしまっているからだろう。
まさか、交通事故で欠損した指を囃し立てられた幼少期のトラウマでもなかろう。確かに、今でも障碍者を見ると無意識に指先に疼痛が走り、無意識にそして身勝手に身障者の苦労に思いを馳せ、等しく身勝手に息苦しくなる。
たかだか指程度でこんなに苦労したのだから、もし目が見えなかったら、片足がなかったら、と思いを巡らせる自分が嫌だが仕方がない。全て無意識に脳が反応してしまうのだから。
自分が今日生きていられるのは、これまで何度か死にかけ、その度に誰かに助けてもらいながら、その余生を今日も誰かに生かせてもらっている、という感覚が強い。
有難くこれだけ元気に生かせてもらったから、明日死んでも後悔はない。両親より先に逝くのは親不孝だから、できれば彼らの後であれば有難いが、息子もすっかり快復したし、何時でもいいとは思う。しかるべき時になれば、自ずとあちらから呼ばれるだろう。余り恐怖心がないのは、事故に遭って気を失っているときに見た、暗闇に輝く燦燦たる扉があまりに神々しく美しく、安寧に満ちていたからだ。
生への固執や死への恐怖が希薄だと成人して気が付いたが、それは音楽にも何某か影響はあるのかも知れない。
イタリアでは今日だけで600人のアフガニスタン市民を無事に出国させたとの報道。アルジャジーラとABCニュースをつけっぱなしにして、仕事をしている。
8月某日 三軒茶屋自宅
椎野先生と稲森作品リハーサル。とても深い音楽で、その滋味溢れる演奏は、無為なセンチメンタリズムを排した稲森くんの音楽によく似合う。椎野先生の練習ピアノをミラノにいた矢野君が担当していたと聞き、誇りに思う。先日の浦部くんと揃って、ミラノで一緒に勉強した二人がこうして近くで頑張っていて、大変励まされる。
他の作品の譜読みが面白くて、明日から練習が始まるのに、自作をどう演奏するか何も決めていなかった。
指揮者として演奏に能動的には参加せず、淡々と時を刻み、歴史的事象を客観的に絵巻として表現するのが理想だと考えていたが、カブール空港の自爆テロに衝撃を受け、やはり自分も生身の演奏家として演奏に参加して、そこに何かを刻み込まなければ、一生後悔すると考えを改めた。他人から見て見栄えする演奏姿勢ではないかもしれないが、結局、自分の音楽は、かかる不格好な姿をしているのだろう。
8月某日 三軒茶屋自宅
2年ぶりに新日フィルにお邪魔すると、本当に懐かしく、嬉しい。思えば、最後に演奏したのは、Covid-19の前だったのだ。今年は、西江さんの隣に幼馴染の山田さんがいらして、少し気恥しくもあり、でも心強い。
毎回思うけれど、いつも献身的な態度でリハーサルに臨んでくださって、指揮していてとても倖せになる。
演奏者に極端に集中を強いる桑原さんの作品でも、一貫して誠実な練習と見事な演奏をしてくださった。誰にでも同じように、ここまで無理は言えないと思いながらも、リハーサルになると、どうしてもその無理を言いたくなってしまうのは、作品がそれを強く望んでいたからだ。その強靭な説得力に演奏者として本当に魅せられてしまった。
演奏者を弾きたくさせる作品は、それだけで価値があるとおもう。
原島さんの音楽は、聴くのと演奏とではまるで印象が違っただろう。
特にオーケストラ部分は、とても堅固に構築され書き込まれていて、それだけで成立している。それを敢えて独奏と併せることはせず、原島さんによれば、無理に原島さんが我々に合わせようと努力する、儚ささえ感じる関係性から生じる、少し夢見るような齟齬、音楽そのものと言うより新しい人間の関係性が、実に魅力的な時空間を紡ぐ。
簡単そうに見えながら、演奏はとても難しかったし、新鮮だった。
稲森くんの作品を演奏したのは、これで3曲目だけれども、毎回より本質が直截に顕されるようになってきて、楽譜を開くのが楽しみだった。彼は以前、ドイツで管弦楽法を教えていらしたけれど、とにかく効果的に鳴るオーケストラの音が、とても理知的に磨き上げられていて美しいこと。楽譜を見れば当然のようにかかる音が並んでいるのだが、それは誰にでも出来るわけではなく、既にそれは明らかに彼の個性となって浮き彫りになっている。
前回演奏した作品は、愉快で痛快だったけれど、今回の新作は、人としての彼の優しさが全体を包み込んでいて、演奏していてとても温かい心地がした。
自作に関しては、市川さんの弔礼ラッパも、柴原さんや打楽器の皆さんが奏でた深い弔鐘も素晴らしかった。本番前、これは「音楽」と呼べるようなものではないけれど、それぞれの演奏者が、自分の生きてきた時間のなかで、何か身近に感じられるようなことを、演奏中少しでも思い出してもらえたら嬉しい、とだけ伝えた。
我々の世代であれば、子供のころ、ベトナム戦争の映像やインドシナ難民のニュースが流れていたのを覚えているだろうし、アフガニスタンであればソ連侵攻も、911もテロ戦争もよく覚えているだろう。もっと若い人でも、香港の民主化運動デモの映像は記憶に新しいだろうし、戦争は普通の精神状態で行われるものではなく、アフリカの少年兵のように覚醒剤漬けにされ、脅迫されて自分の親を殺し、四肢を切断させたりして、人格を破壊してゆく。戦争とはそんな狂気の歴史だから、別に音楽として成立させるようと演奏する必要はなく、もしかしたら、これがもっと平和な日々に演奏されれば、全く違ったスタンスで演奏してもらったかもしれないが、アフガニスタンなど、正に我々が生きているこの時間を刻印するため、それぞれが感じたことをそれぞれ自由に弾いてほしいと思った。
8月某日 三軒茶屋自宅
小田原の久野、茅ヶ崎、三浦半島の堀之内と、約束してあった母の墓参に駆け足で付き合う。久野の霊園に出かけたのは、物心ついてから初めてだったが、母によれば4歳くらいの頃、一度訪ねたことがあるらしい。そう言われると、うっすら記憶が甦る気もするが、恐らく後付けの記憶なのだろう。深い山に囲まれた、しっとり落ち着いた空間で、夏の盛りをほんの少し過ぎ、少しだけ濃い日本の木々の色が懐かしかった。
小田原から茅ヶ崎にかけ、東海道線から眺める相模湾は、相変わらず深い色をしていて、何度見ても美しい。久しぶりに眼下に広がる海を眺め、母の心も解れたに違いない。堀の内の駅の端からも、三浦半島を挟む東京湾が垣間見られて、倖せな心地がした。
グリーンパスがあれば、日本からイタリア帰国の際PCR検査は不要だったが、8月28日のイタリア政府発表で、グリーンパスの有無にかかわらず、PCR陰性証明が必要と変更になった。日本の感染拡大の影響なのだろう。慌てて、今夕のPCR検査を予約する。
今月初めイタリアを出る頃には、10月から施行される可能性もある程度に言われていた、公共交通機関のグリーンパス義務化は、明日9月1日から早速施行される。学校の同僚からは、ワクチン義務化反対の署名運動一斉メールが届き、学生もグリーンパス提示がなければ、対面授業も対面レッスンも出来なくなり、学校にメールが殺到しているという。
アフガニスタンからの米軍撤収完了の瞬間、タリバンが夜空に向けけたたましく無数の祝砲を撃つ姿が長く中継され、アフガニスタンに残っていたドイツの報道関係者の家族が、コメディアンKhasha Zwanが、禁止されていた抵抗の民衆音楽を紡ぎ続けたFawad Andarbiが、タリバンに無残に殺害され、同時に、米軍は誤爆で市民や子供を殺害した。
ローマのチャンピ―ニ空港には、アフガニスタンからの最後の空軍機が到着し、ディ・マーヨ外務大臣は、タリバンにアフガニスタン出国を希望する市民のリストは絶対に渡さない、と公的なタリバンとの人道的交渉を一切否定した。
(8月31日三軒茶屋にて)