誤用・誤解、わざと…

高橋悠治

1960年代までは、数式や計算で、想像できなかった音の風景を造り出せるつもりでいた。でも、確率分布のそれぞれに「顔」があると言われてみると、それぞれの「型」のなかでうごいていただけだったのか。

点の組み合わせではなく、短い線の配置で音を思い描き、描いてみる。これではバロックとちがわないかもしれない。ちがう点があるなら、音よりも、前後の間がだいじで、「はしり、なごり」がおもく、「さかり」はかるくすぎるだけ、という点、というか、それだって、まだ「つもり」にすぎないが。

これも通過点にすぎない、とする。思い描くのは、じっさいにまだやっていないこと、その思いがつきまとっているあいだ、じっさいの道(未知)は、さらにずれていく。でも、それについて考え、ことばにして描いてみないことには、ずれは起こらないだろう。引用もまちがった使い方のきっかけ。