贋金つくりは何をする?

高橋悠治

まず事件の登場人物を観察して、彼らの言うなりに仕事を進める(ジッド)

聞こえた音はその場で儚く褪せてゆく 一つの音から次の音へ瞬間ごとに移動する重心 バランスを取りながら全体が変化する 三つの音の作る三角形の間に引き合う力の線 前の音に押されて次の音が現れ 流れができる 漂う瞬間の行き交う波打つ時空

ケネス・スネルソン (1927-2016) が彫刻で試み バクミンスター・フラー (1895-1983) がテンセグリティーと名づけた空間の枠組にも似た 音楽のひとつの考えかた 離れた音が重みを感じさせず空間に漂いながら 中心がなく支え合っている 聞こえる音は結び目のその瞬間の位置 リズムや音程もその地点の間隔や距離をしめすだけ 音と音の間をつなぐ見えない糸が全体をうごかしていく 厚みも裏もなく翻る表面が かたちを変えていく

ここでは音もリズムもメロディーも 音楽として聞こえる部分は 煙や水 雲や炎のように 揺らぎ流れ過ぎていく影の 聞こえない枠組の痕跡 余韻にすぎない ザミャーチンの短編小説『洞窟』(1922) の最後 舞う粉雪の彼方 足音もたてず移動する巨大なマンモスのように 音はかたちのない運動の影だと言えば 以前は神秘主義と思われ 嘲笑されるだけだったが いまなら 音は身体化した運動の痕跡だと言うこともできる 

創るプロセスそのものが作品であり 書かれた音はいつもおなじだが二度と同じ演奏がなく くりかえすたびごとの即興でもあるような そんな音楽 あるいはどんな音楽からでも そういう音の空間を創りだすことができるか 1968年に終わった構成主義の時代 中心と目標をもった構造の魅力がなくなって以来 音楽や詩だけでなく 社会運動のなかにも多様性とプロセスをだいじにする動きがみえる 不安定な社会 ゆれうごく時代の表現なのか  

クセナキス『シナファイ[相互関係]』(1969)の演奏について 作曲者と話した時に 隣り合う音をメロディーではなく ちがう層への移動とみなすと メロディーのような線ではなく  エネルギーの瞬間的断層ができる 二本の指の間で具体的にどうすればよいかを実験してみた この断層は ほんのわずか隙間を空け 音の強さに微かで予測できない変化をつけると 量子跳躍の瞬間に生まれてたちまち消滅する光子のように 一瞬のきらめきが走る 連続した音の運動のみかけと ばらまかれた粒が飛び散るような不連続な時空が 同時に現れる それから数十年後の最近になって バロック音楽やシューベルトに一部このやりかたを使ってみる これはまったく非伝統的な演奏技法とは言い切れない チェンバロの技法には似たものがある でもそこには断層と跳躍の印象はない