掠れ書き 10(『カフカノート』の作曲)

高橋悠治

ある夜帰ってきてコンピュータの電源を入れるが立ち上がらない。奇妙な音がして内部で空転している。デジタル機器は思いがけなく突然壊れる。アナログのようにしだいに動きがわるくなり停まったりうごいたりをくりかえし最後にまったく停止する前に取り替えたり何らかの手を打つ余裕があるのとはちがって、1か0かというふうに、何の前触れもなく完全に使用不可能になる。こんなことがこの器械では以前にもあったが、今度はハードディスクが壊れてデータが取り出せなくなった。作曲しかけていた『カフカノート』はバックアップを取っていなかったので最初からやり直しになる。

こんな事故をきっかけにちょっと休んで頭を切り替えるあいだにちがうことを思いつくかもしれない、というほうに賭けることにすると、まずテクストの訳は、メールでひとに送ってあったものを返送してもらい、最初と最後の断片をちがうものに変える。それからその訳文からさかのぼって原文を読み込み、ドイツ語と日本語のテクストをそろえたところで、また作曲をはじめる。歌のメロディーだけはプリントアウトしてあったが、ピアノのパートは失われたものを記憶に頼って再現すると自分のコピーになるので自然な流れではなくなってしまう。最初の断片を取り替えたので、作曲は失われたものとはちがうところからはじめることになる。ちがう始まりかたをした音楽の流れは、以前の音楽とおなじものにはならないだろう。

1970年代までは作品全体の構造をまず考え、要素や構成を決めてから細部を書き出すという手順で作曲していた。その時代の音楽の作りかたでもあったし、それが古典的な作曲法でもあった。全体の設計図にしたがって家を建てるようなもので、物語の最後を想定してそこに運んでいくための出来事の流れをくふうすることもできるし、いつも全体の構図が見えているなかで作業をしている、いわば視覚化されたやりかただった。カフカのノートはそれとはちがう、暗いトンネルを掘り進むようなもので書く勢いにしたがって物語がどこへいくのかは作者も知らない。アルチュセールのたとえで言うと「すでに走っている列車に飛び乗る西部劇のヒーローのように目標もシステムもない出会いの唯物論」ということになり、マトゥラーナのたとえでは「設計図もなしにそれぞれの場所で作業をすすめる舟大工がそれとは知らずに造りあげる一艘の舟」となり、さらに別なたとえでは、廻りながら軸がずれていく独楽、または刑務所の塀の上を追手のいる内側にも通報を受けた警察の待ち構える外側にも落ちないで走り続ける脱獄囚でもいいが、音の流れが停止するまでの音楽の時間を手探りですすんでいく触覚的なプロセスにだんだんと移ってきた近年のやりかたでは、手近にある音楽を、それは聞こえてきたものでもいいし、すでにある音楽の一部でもいいが、その場で変形され引用され埋め込まれたパロディーとなって、道を歩むのと同じ速度で作曲もすすんでいく、作者が上から全体を俯瞰するような特権的な位置にはいないから、一つのフレーズから次のフレーズに移る差異以上の全体の地図は存在しない。音を編む作業が最終的に停止したときに地図はできるかもしれないが、聞き手のなかに記憶されるような全体像ではなく点在する瞬間の束の記憶、それも一つとしておなじものではない記憶だけとして残ることを願っている、そのようなものとしてはっきり像を結ばないが「気がかり」Sorgeであるような何か。ベケットの最後のテクスト「何と言うか」Comment dire に書かれているような失語症的言語、思い出せないが循環し、遠くにかすかに見える「あれ」、ただどのような意味でも目標や救いにはならず、透視画法の無限遠点それも複数の点として散乱する道をひらくための。

ただ一方向に直線的にすすんでいるわけでもなく、立ち止まり振り返り曲がるだけでなく、以前のどこかの地点に戻ってやりなおすこともあるだろうが、さかのぼってそこからまたすすむ場合は、同じ道をおなじようにすすむのではなく、今まで見えなかった脇道に曲がってそこからちがう方向にすすむこともあり、循環するのは同じ水ではないばかりか、おなじ水路でもないかもしれない。何回も曲がっていくうちにどこへ行くのかもわからなくなり、すすんでいるのかもどっているのかもわからない。古典的な主題も動機の展開も変奏もなく、偶然の出会いから逸脱をかさねて主体も対象もないうごきそのものになっていく。これがエピクロス的クリナメンとオートポイエーシス的自己創出を重ねあわせた運動、カフカ的に言えば落ちながら跡を曳くうごきということになるだろう。階段を転げ落ちていくオドラーデック。

脈絡のないように選んだ断片からさらに抜き書き:「何もない、ことばを横切ってくる光の名残。」「だんなさま、どちらへお出かけで?」「知らない、ただ行く、出ていく。どこまでも行く、そうすれば目的地に着く。」「目的がおありで?」「ある、「言ったはずだ、”出ていく”、のが目的。」「食糧ももたないで」「いらない、長い旅だ、途中で何もなければ飢え死にだ。もっていても助からない。幸いこれこそ果てしない旅だ。」「長い、長い未完成のものの列。」「ひとことだけ。願いだけ。空気のうごきだけ。きみがまだ生きて、待っているしるしだけ。願いはいらない、呼吸だけ、呼吸はいらない身振りだけ、身振りはいらない思うだけ、思いもなく静かに眠るだけ。」こうしてまた書いている。