掠れ書 き24

高橋悠治

「だれ、どこ」でしたしかった人びとを送り、先に道行くひとがいなくなったいま、また掠れ書きにもどってきた。2012年にはコンサートのために新作を10曲作り、そのほとんどが歌か朗読で、ことばから生まれた音楽だった。時間のなかで読まれることばに添った音楽は、声の流れの近くに楽器で別な線を辿り、あるいは川のなかの岩のようにさまざまな色やかたちで流れをさえぎり、ことばを浮き立たせ、あるいは堰き止めることができる。ことばには響きもリズムもあり、意味もあるからそれとおなじことを音楽でしなくても済むかもしれないが、歌われ読まれることばが聞こえないこともあるし、理解できないことばや、外国語である場合もあるだろう。それでも音素としてだけのことばとは言わない。ことばを伝えるためだけの音楽とも言わない。

流れるようにすぎていく音楽は安定した軌道の上にあると言えるなら、安定した軌道があれば音楽はすぎていくとも言えるだろう。概念、構造、形式から始めてそれらを具体化する音のかたちを操作することもできるし、音のうごき、と言うよりむしろ音を作り出す手のうごきについていって、作る手続きを規則に要約しながら次の段階でそれを訂正することをくりかえし、最後には足場を取り払うようにして作業を終えると、音のかたちだけが残って、構造は外からは見えにくくなるだろう。作業は終わっても、作品は終わっていない。どこか目立たないところに未完成のままの隙間がある。そこが「近づいてくるもの」の予感の瞬間でもあり、次の作品のきっかけ、創造活動の糸口にもなるのだろうか。

演奏が毎回発見のプロセスであるように、作曲は細部の演奏指示をできるだけしないで済ませて演奏の領域に踏み込まないようにする。演奏は全体の設計を作曲にまかせて、細部をわずかにうごかすことで音の質が変わるのを聞き出そうとする。和音のなかのどの音をどのくらい際だたせるか、書かれたリズムからどこでどのくらいはずれるか、書かれた記号がおなじでも関係のなかで現れてくる差異、それも音楽の内側だけではなく演奏の場で環境ともかかわりあう差異、それを創る手と同時に耳をはたらかせて続けていく演奏行為は一回性のもの。意識する直前の環境との相互作用の場に現れる瞬間的なうごきにまかせられるように、コントロールをすこしゆるめておく。

記号は変化を一つのかたちに表したもの、それだけで独立してはいない、文脈や関係のなかに配置され、何度も使われるうちに固定した対象のように操作されるが、指示する領域の境界線ははっきりしない、説明を省略しても理解されるのは、慣習と伝統のなかにあるからで、慣習は意識的に変えることができないが、ゆっくりと変化しているから、記号の指示する領域もすこしずつ変わっていく。

音楽を聞くとき、なめらかに流れ去って行かない瞬間に記憶がうごきだして、それまで辿ってきた音のプロセスが浮かび上がるとすれば、中断と転換の不規則な配置によって作品の形態が決まることになる。

ミニマリズムは脱構築の音楽だったのだろうか。同じかたちを反復しながらすこしずつずらしてかさねていくやりかたは、脱構築の建築にも似ている。それらは1960年代にはじまり、二項対立を原理とする「大きな物語」の枠ではなく、オリエンタリズムのようにアジア(あるいは)アフリカ的(非)時間の幻想に浸っていたようにも見える。パターンの演奏行為からはじめてそれを要約したものが作曲になるという点では、それまでのエリート的で書かれた作曲優先の複雑性とは反対の方向ではあった。それでも作曲になってしまうと大きな枠のなかに統一し、複雑になる傾向が出てくる。それとともに、ずらしという個人性をあいまいにする方向から、すこしずつ個性的なスタイルへ回帰していったと見ることもできる。

音をその場で創るための厳密でありながらひらかれた枠組み、説明を必要としない記号の粗い網、すばやいスケッチの空白に耳の想像力がはたらくように、統一されない断片の連結し組み換えるちいさな音楽にとどまる意志、仮面、ペルソナとしてのスタイル。

1960年代のはじめ、ヨーロッパではセリエリズムが使い尽くされ、ケージが1954年に登場した後でヨーロッパ版の「管理された偶然性」が流行し、それからやはりアメリカに遅れてミニマリズムのヨーロッパ版がさまざまなかたちで浸透した。グローバリズムの物語がこういうかたちでゆっくり準備されていたとも言えるだろうか。いまはちがう時代で20世紀全体を終わったものとして見通しても、この先の展望はない。帝国の崩壊とそれをとりつくろう政治の陰に経済も文化も覆われているようだ。そのなかに散乱する兆しをもとめて、音楽の実践は速度を落としながら観察をすすめるだろう。