一筆書きと 連句

高橋悠治

作曲しながら、現れてきた音が自然に流れるにまかせると、流れは直線ではなく、いくつかの方向に分かれていくことがある。なめらかに見えるうごきも、ためらったり、やりなおしたり、曲がっていく。そこにできる襞を広げてみると、隠れた模様が現れるかもしれない。その奥にはまたちがう空間が見えるだろう。

小さな建物のなかに大きさや形のちがう部屋がいくつも折り重なって、それらを次々に通り抜けるうちに方向感が失われて、外から見た全体の何倍にもひろがった内部空間を感じる。一つの部屋にも複数の出入口があって、同じ部屋にもう一度別な入口から入ることもあるかもしれないが、角度が変わるとちがう眺めになり、以前とはちがう出口が見える。どこまで行っても、ここまでという奥がなく、歩いた跡を辿って外側から見れば、たくさんの結び目のある一本の紐のような地図ができているかもしれない。

一筆書きは、入り組んだ曲線がおなじ点を通っても、同じ線をなぞらないような図形で、書き上げてみると顔だったりするが、書いているあいだには何だかわからないほうが、見ているほうにはおもしろい。数学では「ケーニヒスベルクの7つの橋」をすべて一度だけ渡ることができるか、という問題に「できない」と答えたオイラーにはじまるグラフ理論や、大きく見ても細かく見ても複雑なリアス式海岸を、全体と部分が似た形をしていると見るフラクタル理論のように、抽象化して原理を求める傾向がある。音楽では、顔のような具体的な対象が見えないし、聞きながら感じることは、海岸線を曲線として見るよりは、歩きながら見える風景の変化を味わうほうに近いだろう。

18世紀末からの近代音楽は、表面の変化にひそむ同一性をだいじにしてきた。一つのフレーズ、一つの和音は、発展し、変化しても、最後にはそれらの仮面を脱ぎ、同じ形が再現することで、安定した全体が保証される。20世紀になり、音楽が複雑になると、構成は抽象化して、一つの音列にすべてが還元されるような技術が洗練されてくる。その複雑さが限界に達した後、1970年代からのミニマリズムも、自己同一性そのものを引き伸ばしたような音楽だった。反復のなかですこしずつ変化する響きの長さは、変化のプロセスのなかでも自己中心的なスタイルへのこだわりを捨てきれないようにも見えるし、長い時間をかけて希薄なひろがりが覆いかぶさってくる息苦しさを感じることもあった。

2011年に書いたピアノ曲「家具連句」の家具は、持ち運べないピアノという楽器のことだが、連句はここでは既成の連句の音による描写ではなく、歌仙形式の36句が前の句に付けながら転じるというやりかた、前のフレーズを別な文脈にひらく連鎖と転換だけを使っている。

2014年の無伴奏ヴァイオリンの「狂句逆転」は、柴田南雄が芭蕉が名古屋で巻いた連句「冬の日」にもとづいたヴァイオリンとピアノのための歌仙一巻「狂句こがらしの」(1979)を参照しながら、連句の挙句から発句へ逆行し、前書で終わるかたちをとっている。「付けと転じ」は、連句をさかのぼって読んでもやはり「付けと転じ」になり、ちがいを強いて言えば、ひらいていくかわりに内側へ畳み込むプロセスと言えるだろうか。

連句の式目は、発句、脇の句から挙句にいたるまで、前句とだけかかわり、二句前にもどることは「輪廻」または「観音開き」と言ってきらわれる。「歌仙は三十六歩。一歩もあとに帰る心なし、行くにしたがひ心の改まるは、ただ先へ行く心なればなり」(三冊子)という芭蕉のことばが伝えられている。「観音開き」の禁止は、「根を切る」とも言ったようだ。旅の人の発想だろうか。

ここで思い出すのは、ヴェーベルンの後期、結晶体のようなフレーズが「観音開き」で閉じたまとまりを作りながら先へすすむ傾向や、ドビュッシーの1小節ごとに繰り返しをはさんですすむやりかた。伝統から離れていく音楽には、一歩ごとに足元を確認しないではいられないような、不安定な感触があったのだろうか。

だが連句は、全体として四季の循環する時間のなかにある。去った季節はやがて帰って来るが、おなじ付けかたは「遠(とお)輪廻」と言ってきらわれる。おなじ季節がめぐってくると言っても、ちがう入口と出口を通って、「ただ先へ行く」のだろう。
ただ先へ行っても、循環する季節のなかで、歌仙という閉じた空間がある。それは、式目のような経験則が定着する論理を辿らなくても、紙を折って表裏に書きつけるという習慣そのものに、折りたたまれ、表が裏になり、また表になって続く、連句のメビウス的空間が目に見える。