アリアドネー

高橋悠治

風が水の表面に刻むように 瞬間に起こる変化から 論理を展開しようとすると じっさいに音楽をつくりながら または演奏しながらさぐっていた道からはずれて 解釈から先取りした意味付けに頼って 直線で進みたくなる 実感より先走ると 20世紀前半までの音楽史の上で もう終わった道をくりかえし辿っていることになりかねない

糸玉を転がし その後を追って迷路から出る 道のわずかな傾きを感じて 止まらずに転がっていくのが 論理の糸ではなく わけもなく 跳ね上がり 気まぐれに逸れていくうごきであれば 論理のほうが糸をはりめぐらせてしばるもの 論理こそが迷路で そこから転がり出ていく糸玉は いままでになかった論理として後からまとめることもできるかもしれないが 限界を一時的に決めなおしても そこから新しい迷路が立ち上がるだろう

糸玉がほぐれると アリアドネーは捨てられる 

ことばをつかって さまざまなうごきが見える窓をひらくのなら 最後の一行だけでよかったのか それとも これも論理の前ではなく 後の一行にすぎないのか