●ジョン・ケージつづき
香港の黄大仙(Wong Taisin)廟でミカンや花を捧げ香を焚き竹筒を借りて竹の番号札が振り出されるまで揺する。幸運な数が出るまで続ける。一人分3回までは許されるらしい。だが親戚一人ひとりの分もまとめて紙に書き取っていく。
chance operation偶然の操作、偶然に干渉するやりかた。材料をととのえる、組み合わせは自分で決めないで、サイコロや3枚のコインを投げる、乱数表やコンピュータの易占プログラムのプリントアウトをたどる、やりかたはさまざま。結果得られた数を音の特性に置き換える。だいたいは結果を受け入れるが、おもしろくない場合はやり直す。自分では思いつかないような音から音への曲がった道ができることがある。いくつかの段階を経て、介入の余地を残しておくのがいいのだろう。完全自動洗濯機のように最後までコンピュータがやってしまうと、失敗しても修正できないから捨てるよりない。クセナキスの1960年代コンピュータ作曲のプリントアウトを見ても、多くのサンプルからおもしろそうな結果を選んで、順序は自分で決めていた。ケージのやりかただと、作曲という作業は音から音への一歩ごとの小さなプロセスを続ける事務しごとに見える。それが日常性ということかもしれない。
ケージには時々フェスティバルやパフォーマンスで会った。プリペアド・ピアノを弾いたり、HPSCHD初演の時はハープシコードも弾いた。バッファローで使ったプリペアのセットはその後行方不明になってアメリカから日本まで問い合わせの電話が来たこともあった。どのみち、同じ響きは二度と作れない。
HPSCHDもSong Booksも中心のない空間に多数の演奏者の同時演奏、大量の録音素材や映像の同時再生、マーシャル・マクルーハンの「ひとつずつ順々にの視覚空間ではなく同時多発性の聴覚空間」を文字通りやろうとした、あの時代の、二度とできない試みだったのではないだろうか。もちろん再演はされているはずだが、あの時の熱気と一体感が再現できるとは思えない。と言って、これらの膨大な素材の集積、当時の「世界」だった「本」から一部分を取り出して「作品」として編集したら、まるで別ものになるだろう。
サンフランシスコでSong Booksの公演前日の練習を見る。博物館の個室ごとにちがうパフォーマンスがエンドレスでつづいているなかを、ケージの案内で通り抜ける。歌う人、食べる人、逆立ちする人、料理の匂い、唸り声、わめき声、山火事の音、地図の映写、すべてが増幅されて混じり合うカオスとノイズ。「すごいだろう。まるで精神科病院だ」と言ってケージはたのしそうに笑う。
アナーキズム、すべてを受け入れ、許そうと思う、中心を作ったり管理しないでも、自発的な動きがぶつからないような隙間だらけの空間で、ゆずりあい、折り合いをつけることができるだろうという期待。じっさいには、暫定協定modus vivendiは一度決めればずっとそのままでいくわけはなく、毎回決め直すことになる。新しい記譜法を考えて、詳しい説明や演奏指示を書いておいても、練習に行くと、演奏家はほとんど読んでいない。自分の論理で慣習や文化伝統から離れた普遍的・抽象的なシステムを押しつけるのは有効でない。一度に変えられることもあれば、すこしずつ変わるものごともある。
ケージ・スマイルと言われた人のよさそうな印象、it’s beautiful, isn’t it?という素朴なアメリカ語のニュアンス、アメリカの正装というデニム・ジャケットとジーンズ、あるときは菜食、ある時はマクロ・バイオテックの弁当、音楽をステージから引きずり下ろし、日常のすべてが音楽と思える状態に近づける試み、日々是好日。こんなふうに作られた「ジョン・ケージ」でありつづけようとする努力。大量の音の同時多発するカオスのなかに無名の人として沈みこもうとする一方で、沈黙とわずかな音をたのしむ繊細な耳の人。
ケージとカニンガムが住んでいたニューヨークの半地下のアパートに行ったのはいつだったか。通行人の足が窓の外を行き交い、がらんとした室内にわずかな植物がある。そのかなり前には、郊外のストニーポイントのアーティスト・コロニーに建てられた家、ガラス張りでトイレにもドアがないような電球のような家。無名性を自己主張している住居。
1960年代にはクリスチャン・ウォルフや一柳慧は反ケージでおもしろいと言う余裕があった。80年代の終りに武満に招かれて新作初演に来たケージに、コンサートの後、サントリーホールのロビーで会った時は、自分のコンサートにも来てくれるようになったのかと言われて、こちらも意外だった。70年代に、仲間だったコーニリアス・カーデューやフレデリック・ジェフスキーから政治的反動、帝国主義者のように扱われていたことに、かなり傷ついたのだろうか。
クリスチャン・ウォルフが言っていたように、何年も作曲を続けていると、今度はいままでとちがうことができたと思っても、じっさいにはまたおなじことだったりする。何十年も前にケージが書きとめたクリスチャンの「結局はすべてがメロディーになる」という意味のことばと似ている。武満は「今度こそちがう作品を作るそのために対位法を勉強したい」とよく言っていた。ケージが「ケージ」であるために自己をきびしく律していたのとちがって、武満は「武満」の響きを捨てるわけにはいかなかった。ちがうくふうや複雑な音を重ねるたびに、音楽はもっと「武満」になる。エゴから離れようとするのは二十世紀の芸術家の病気かもしれない。