飛石、露地

高橋悠治

そのドアは他のドアでなく そのネコはほかのどのネコでもなく

飛石の列はどこかで曲がる 曲がらないなら せめて 踏石の大小のリズム

おなじようなリズムも すこしずつずれて おなじ顔も 見るたびにちがうように 

毎日おなじ時間におなじ道を通っても いつもちがうものが見える
毎日ちがう時間にちがう道を通って おなじものが見えたらどうしよう

流れの襞をときほぐし 隠れた模様が見え
見なおすと そこに一つの部屋が
部屋に入ると 見えなかった出口が
次々に部屋を通りぬけ
どこまで行っても 外に出ないけれど

家の脇を通る細い露地 風や雨にさらされ 

瞬間は 寄り集まり切れ目ない一つの動き
時間はまだ見えないかな 
動きといっしょに息が出て 息継ぎするとき 動きが区切れ
動きはふるえ すこし曲り 大きく小さく 遅く速く  
はじまりはかっきり重く  ゆれつつはこび 端まで来たら
力も息もかるく消え 

部屋を横切るとき 歩数は数えていないか いるか
踏む足も 動く身体の線も 感じているか いないか

瞬間 ひと息ついて もう一つの瞬間
時間が この瞬間とあの瞬間を 行ったり来たり
順序はあっても 方向はないと思いたい
連句が時をめぐり
付けと転じは続いて どこへ行く
旅は終わってまだなにか
わからない

瞬間が色とりどりに散り
時間が模様を包み ひろがる


切れぎれで、全体の計画なしに、即興で一つの瞬間から次の瞬間へ跳びうつる。瞬間は時計で測る短さでなく、時間でさえなく、フレーズ、句、ヒトフシと感じてもいい、一部屋と見てもいい。まとまり。単語や要素のように、基本的で、変わらず、最初から材料になるためにそろえられて、建物の土台になるものではなく、古い日本旅館の部屋のように、次の間の空間の形が変わり、眼が距離に応じて焦点の深さを調節するように、いつも新しい環境に対応できる。

「歌仙は三十六歩。一歩もあとに帰る心なし、行くにしたがひ心の改まるは、ただ先へ行く心なればなり」、と芭蕉が言った。連句は後ろから読んでもやはり付けと転じがはたらいている。名古屋で巻いた「冬の日」に付けた柴田南雄の曲がある。それを逆転したものに付けた『狂句逆転』も音楽の連句にはちがいないだろう。行き帰りでは風景はおなじにはならない。

生態ネットワークに飛石と回廊というたとえがある。草木が群になっている場所が飛石で、それが途切れないように次の飛石に続く道が回廊で、多様性と交流が保証されるので強い。

建物の回廊には屋根を葺く。茶庭の屋根がない細い脇道は露地。気候は予測できない偶然の重なり、確率や統計は後付けで、10%の雨の予報でも、雨が降っている時は100%。地震や噴火もいつか。

その場の即興はうまくいかないかもしれない。楽譜があって、ただ弾いても、音符は音にならない。いままでにある音楽を分析して、たくさんの理論がある。理論から音楽を作れない。演奏も作曲も、いままで出会ったことのない偶然の状況をどうしたらいいのか、その場その時で答はちがう、と言うより、答はない、と感じている。その場限りのあそび。うまくいくのも事故とおなじ。アクシデントの語源は落ちてくること。

音楽も一歩ごとに薄氷。