四十八茶百鼠

高橋悠治

種類のちがう種子を粘土に包んで蒔いておくと 種子にそなわる力と環境や季節が合うとき 種子が土を破って芽を出す 包む土がすくなく貧しければ たくさんの繊細な関係をあちこちに結ぶ そうなれば 根を張る強い草が育つだろう

足りないものを補って複雑にしなくても すくないもののあいだの関係を複雑にすることができる 「底至り」ということばがある 外から見えないところにくふうがあり 表面は単純に見えても 裏側に見えない網が張りめぐらされ 経路や流れを変えて さまざまな動きが行き交っている 表面が微かに揺れると 全体がおおきくかたちを変える 揺れて揺りもどっても 元にはもどらない 「底至り」と似たことばに 「裏勝り」がある じみな羽織の裏に きらびやかな色やあざやかな模様が一瞬見える また「四十八茶百鼠」(しじゅうはっちゃひゃくねずみ)という染の色合い 茶や鼠という目立たない限定された色のなかで 江戸鼠 深川鼠 銀鼠 錆鼠 島松鼠 呉竹鼠など 色調を微妙に変え 遠くからはわからないが 触れ合う近さでの微妙なちがいに気づく どれも江戸時代の奢侈禁止令に抵抗する町人の意気

「裏勝り」は貧しさを装うゆたかさ 反抗の姿勢を一瞬見せる 「底至り」は貧しさに隠れたゆたかさ 近くで見る細部を洗練する技術 「四十八茶百鼠」は貧しさのなかのゆたかさ 近さと細かさが表面にも現れ 反省的に控えめに見せている批判の姿勢

音楽は響きあう記憶 時間はめぐりながら逸れる もどる場所も出入口もいつもちがう 響きの単位は音ではなく音程 音だけなら 高い音 低い音 比較し適当な尺度で計れる構成要素だが 音程は二つの音の関係 音から音への距離 というだけでなく それぞれがちがう色合いや佇まいをもっている 色合いは単純な尺度では計れないし 調子や強さの揺らぎ 些細な光と影の移りが 群れの動きの感触を変えていく 音は音程の結び目 音程は曲り角 曲り角の先はまた曲り角 どこにも続いていくうちに 行先が読めなくなり 音楽はさまよい 行きがかりに思いがけない小径に入り込む 九十九折に似て それぞれの曲り角が ちがう方角を指し 無心所着(むしんしょじゃく)の場になって 曲がるたびに 微かな動きがさまざまに現れ 淀むことがない

音という構成要素から 音程という関係を通らず 和音を一段上の構成単位として 音程はその部分的な現れとみなせば ちがいは2音のあいだの音程から3音以上を組み合わせた和音というだけではない 2は比較されても統合はされない 3が統制と中心や方向をもちこむ 和音に時間順序と階層序列をつけて和声構造とし それにしたがいながら 演奏したり聞くときは メロディーのように方向をもった線を手がかりに 全体のイメージを時間のなかですこしずつ新しくしていく そのなかでそれぞれの音は全体から割り当てられた位置におさまる 作曲するときは まず制御し操作する意志があり 全体構造を設計し そのなかに構成要素を配分する

そのような全体指向は 関係の網を束ねて構築しようとするが 構成よりプロセスを先にすれば ひとつひとつの響きや色合いに聞き入り 響きの瞬間がその前後の響きと触れ合う構えを聞きとるなかで いままでとはちがう音楽が生まれるだろう 瞬間は時間を感じられない時間 響きの群れがひとつのまとまりをつくる そのまとまりは 時間を感じないからといって はっきりした輪郭を見せて停まっているわけではない 瞬間と瞬間の境目もあいまいで 規則的な拍で刻まれる時間が直線のように耳の前を通りすぎるかわりに ひとつの瞬間のひろがりから次へと 飛石のように移る

各務支考は「七名八体」で分類できなかった俳諧の付けかたを空撓(そらだめ)と名づけた 芭蕉の「しほり(撓)」は まばらな影に心が萎れ 余韻を曳いている感じだが 空撓はさらに漂白して「ひたすら目をふさぎ吟じ返すに、ふと其姿の浮かびたる無心所着の体」(各務支考『俳諧十論』) 心はうつろ 山の尾根のように撓(たわ)む