絵巻はどこからか

高橋悠治

絵巻はどこからかわからない複数の視点から描かれていた
それとも視点がない空間なのか
そのなかで
どうなるかわからない筋の絡まりから身を引き剥がしながら
たくさんの登場人物がそれぞれの感じを持って
だが想定される性格からは思いもよらない行動に出る
そういうシェークスピアについてピーター・ブルックが書いていると
小島信夫が語っている本がある
いまここにあるものは
それなりにあるべき理由をもっている
歴史はそれを認めるからつながる
論理はあって道理はないことが重荷になって
状況を変えることはほとんどできないから
まったくちがうことからはじめる
蕉風連句の付けながら転じるとはどういうことだろう
芭蕉がその場で言ったことば
弟子の記録
後世の研究や分析からは
その時そのことばを書いたプロセスは見えない
ちがうことばを書くこともできただろう
付句は発句からあるきっかけを引き出して
予測できない方向に転じる
きっかけは見えないもの
それともそこに欠けているなにか
付けられたことばは偶然とは思えない
と思うのはみかけだけ
添削すればまた別な線ができる
その座にあって生まれ
それを書くひとのことばのそれまでと
息のつける空間がそこにありながら
そのことばには必然もなく
根拠もなくその瞬間に浮かびあがる
書くことばが途切れないように
前の句にたえずもどりながら
ことばのつらなりの
折れ曲がる線は角々の撓みと重みで
ゆれながらかってにうごきだす
ふりかえれば別な入口が見える
通らなかった道の
視野になかった風景のひろがりを隠して
一本の曲線に見えるものは回帰する微分のあつまりで
微係数には平均値がない
偶然でも必然でもないプロセスは
確率とはちがって顔がない
回りながら逸れるこまの軌道