アマシェ

高橋悠治

マリアン・アマシェが亡くなった(2009年10月22日)と聞いて、1992年徳島21世紀館のあの30日間を思い出す。彼女は大きな展示室とつながった石の廊下のための音楽を創りに来た。最初の3日間はスピーカーを置く場所を決めるだけに過ぎた。数多くのスピーカーを使って多チャンネル音響空間をつくる普通のやりかたとはまるでちがっていた。凹凸を付けた床面に少数のスピーカーを壁や天井に向けて不規則に置き、空間に音を放射するよりは、建築そのものが振動するようなやりかたで、ひとは音と向き合うのではなく、音のなかに入り込み、内部からそれを体験する。固体振動は空気振動に比べて数倍の伝達力がある。彼女は録音された音素材を、持参した使い込まれた古い小さなアンプを通してそれらのスピーカーに出してみる。そのテストにまた数日かかった。ほとんど眠らず、1日20時間もひとりではたらいていた。

普通のメロディー、短いフレーズが劇のキャラクターとなって動き出し、それ自体の物語を語りだす。クローズアップ画面の内側にいるように、音は耳のそばにいたと思うと、内側に入り込み、鼻先を旋回し、目の前を通り過ぎる。遠くから羽虫のように飛んで来てまつわりつき、どちらを向いても振り払えない音もいる。雨のように降りかかり、眼に見えるかのように3次元の姿かたちを刻々に変えてゆく。それらは2つの部屋のあちこちに出没する音の人物たちだった。聞こえる音だけでなく、それに呼応して聴覚神経が作り出す内耳音響放射(otoacoustic)と呼ばれる生理現象によって頭の中で自発的に生まれるパターンで、電子音の冷たさはなく、自然音や楽器の音のような外部の音でもない、どんな音と形容することさえできない、視覚と触覚のあいだのような感触があたたかい流れのように身体を通り抜けてゆく。

彼女の指はアンプの上をうごきまわり、全身が揺れてほとんど踊りながら、1時間ほどのドラマをその場で創りだしてゆく。それは後にも先にもない、記録も再現もできない幻覚だった。TzadicからCDは出ているが糸の切れた人形のようにさびしい。夢を紡いだ操りの繊細な指、人形遣いは去った。