ひそやかな歌

高橋悠治

「うたのイワト」で 『高橋悠治ソングブック』からいくつかの歌をうたってもらって思ったこと

ヨーロッパやアメリカにいた頃は じぶんのことばでないことばで あてさきもなく 歌は作れなかった それ以前にはアルトーの詩を 以後にはブレヒトや毛沢東の詩を歌にしようと試みたこともあったが メロディーは作れても それに楽器をつけることができないでいるうちに 原稿がどこかへ行ってしまった 歌はメロディーであるより まずことばをきくやりかたなのかもしれない

歌は詩のよみかたのひとつなのか
歌になることばをさがして詩をよむのか
ことばのひびきと くりかえされるひびきの間隔のリズムで
詩をよんでいく
語りの波が ささやき となえ 
光がさしこむ瞬間に 歌が地上すれすれに浮かんで消える
歌はそれをうたう人の声といっしょになっている
 死んだだれかを思いださせるよ と
 老人は部屋に羊を飼った
そんな一節が頭のなかで鳴っている
(長谷川四郎詩集にはなかった)
 声にはせずにうたってた
 忘れぬために 花のうた
(これは佐藤信と林光だった)

卵の殻がついたままのひな鳥のように
ことばの錘りが離れず 歌になりきれない語りの
ひびきのいろどりと不安定が
ことばを書きつけるひとの心を映して
こどもであることをまだしらないこども
こどもを国にとられた母
名前をなくしたからっぽのすがた
忘れられた病気の子ども
 うたは問いかけ
 うたいながら すぎてゆく
(水牛の歌)
いる場所も行きどころもない魂が まださまよっている