冷えとひらき

高橋悠治

年とともに身体は衰えていく
心も冷え うごきがおそくなる
演奏も作曲も即興でさえ そのたびに新しくはじめないと
何もはじまらない
昨年はブゾーニとモンポウを録音し
今年はアキといっしょに石田秀実のピアノ曲集を録音した
ブゾーニは夢のように変わりつづける音の流れに
モンポウは遠いざわめきのこだまに
石田は山水画のなかの空間に歩み去る後ろ姿に惹かれて

ヴィトゲンシュタインとベケット
ありふれたことばがありえない組み合わせのなかでくずれていく
この穴だらけのつづれ織りは
ことばよりは音のありのままのありかただから
きれぎれになった響が沈黙のなかでふるえ かすれ
diminuendo cascando消えていく
こうして昨年からtwining voices纒穣聲nabikafiなびかひ sinubi偲を書き
いまhanagatami 花筺1と2を書いている
喪失からはじまり
残された空間のかすかなすきまが ささやきでみたされる
ためらいながら 身を引きながら よろめきながら つまずきながら

低音をくるわせて 支えをはずし
影の揺れと震えの上下に打たれるわずかな点の余韻
おなじようでいて すこしずつずれていく景色
さらさらとこぼれていく
さやさやとふきすぎていく

休止符と小節線を書かない楽譜にしてみる
拍を数えない 同期しない
それぞれの音が それぞれの時間で明滅する空間
断片を入れ替えて 流れを断ち切る
音をはずして つながりにくくする

書きながら時間をかけてためしているやりかたを
身体に染み付けて 演奏を解体していく
自然にうごいてしまうことから距離をとる
わずかな変化に注意を向けると ありきたりのうごきはしずまる
ほどけ ばらばらになっていく
こんなことで いいのだろうか

くりかえすたびに変化する
二度とおなじうごきはなく
はじまりの地点からはなれて 二度ともどることはない