反システム音楽論断片ふたたび

高橋悠治

『世界音楽の本』では 身体と感性あるいはリズムと音色あるいは時間と空間 は一つの身体の経験からはじまる 単純な要素を組み合わせ組み替えて複雑な全体を構成するという方法からはまだ自由になれなかった 一がない多数 中心がない周辺 全体がない部分 目標がない流動 偶然の集まりの相互調整からはじめて だれのものでもない身体 いまでもなくここでもない時空 これでもなくあれでもない 答えがない問い 道のない歩みを創りだすために また書きはじめる

作曲家・哲学者である石田秀実が『気のコスモロジ――内部観測する身体』(岩波書店、2004年)に書いた山水画のなかをさまようひとのように また「水牛のように」のコラムに書いた『音たちの中に埋もれながら、音と出会い、自らの視点を移動させながら、音の姿を眺める』をてがかりにして 「生きて揺れうごく空間」としての音・身体・世界を観ようとする

クセナキスのように確率を使うか ケージのようにランダムな選択を受け入れても いずれは響による拡大されたハーモニーや 音の線という拡大されたメロディーに回収されていった いまのコンピュータにプログラムできるような自動化は そのプログラムの枠にしばられて 予想を越えて流動する音に追いつけない 音響ファイルは歪んだり解体することはあっても 別な秩序をもつ音響に変身する能力はないようだ 一度選択されたファイルは選択のフレームをこえる変化は創れないし ランダムな選択はじつはランダムではなく 大数の法則にしたがって いずれはその顔をさらすことになる そこですべてが予定調和する響に収まる

確率や他の方法によるランダムな選択に対して 反復は古典的な歌曲もミニマリズムのパターンもすでに紙に書かれた抽象化されたパターンであり 記憶の痕跡にすぎない 生きてうごく音は 状況に埋もれた耳に呼び起こされて 二度とおなじかたちをとることはない 断片化され 組み合わせを替え 即興される再話 それも流れのなかにときどき見える魚の影や飛び石のように はっきりと名指しできる前に姿は消えている
 
複雑性の科学は 複雑性を単純なパターンに回収しようとしているのではないか カオスもフラクタルも単純なものほど美しいと感じる論理の経済から出られないようだ 哲学はと言えば 科学よりさらに後を歩いている 計量化されない 一般化されたり抽象化されない 音の流れを分析してアルゴリズムを作ることはできても アルゴリズムから作られた音は貧しい 美学からアートを創ることはできない 色や音を通してさわる 一回だけのこの世界との出会いは 数学や哲学のはるかさきを歩んでいる 

フレームをつくらない関係 受け入れ 排除しない関係 ソクラテスの問 エピクロスの庭とルクレティウスのクリナメン ブッダの気づきとサンガは 崩壊する古代社会から生まれた一時的な避難所 現代では実践共同体の実験はむつかしい パリ・コミューンも自由光州も流血のなかで鎮圧され 日本中世の一向一揆も公界(くがい)も 最終的には 権力の介入を避けられなかった メキシコのサパティスタの自治も危機を迎えているらしい どのようなバランスも一時的なものであり 外部からの介入がなくても 内部の小さな揺らぎからも いずれは崩壊することになるだろうが 一元的 あるいは二項対立的な支配にで抑圧されるのではなく ますます多様なパターンのゆるやかな連合の転じに道をひらいていくことが できるような出口を残しておくことを あらかじめ考えに入れておくことが どうしたらできるだろうアートの実験は失敗がつきものだが 犠牲はすくない 小さな場で時空の層をかさねて 世界の違う見えかたをためすことができる 箱のなかの宇宙

音楽は人間の身体がすることだから 生きている身体のはたらきと考えられる心のうごきとともにうごく 人間はひとりでは生きられないから 音による人間関係が音楽のすべてとも言えるだろう

音楽を音を出す側から考えると 人間の関係は隠れ 音という物体が世界のなかにすでにあるかのように その性質が論じられ 構造や構成が固定される傾向がある

プロセスとしての流動する音は 客観的にあるものではなく エゴのない複数の身体 あるいは時間的にも空間的にも 幾方向にも分割される身体のベクトルが 音が聞こえる状況のなかでうごいている

音を意志的に聴くというより 聞こえる音を かならずしも意識することなく 身体が受け入れるとき 音に埋もれてそのなかをさまよいながら その残像や痕跡が出没する道とも言えないかぼそい糸を風になびかせておくとき 微かな振動にみちた空間を感じ そのきめの隙間に入り込む触手のような指のうごきが 音の感触として身体にもどってくるとき 音楽は音の先端について 予見できない間道に入り込む 楽譜があってもなくても 楽器があってもなくても 作曲も演奏も即興も それぞれにちがいながら どこか似たかたちが見え隠れする

手がうごきだせば 時間も空間も音も その音の置かれる場も起き上がる それは隙間だらけの時間と空間 おぼろげな枠はあっても はっきりした輪郭のない場に すぎていく音 あるかたちの記憶が いつもすこしずつ変わりながら 姿をみせる どこかで見たが どこか思い出せない 何とも言えない めざめる直前のもどかしい夢のように 時間も空間も崩れて いつか他のかたちに変わっている