夏目漱石の『吾輩は猫である』の復刻版を刊行した九ポ堂二代目の酒井道夫さんの話を、東京製本倶楽部作品展で聞いた(東京・目黒区美術館 2017.2.11)。復刻にあたり底本は大蔵書店刊、明治44年7月発行の寸珍版『吾輩ハ猫デアル』(86ミリ×47ミリ 754ページ)で、酒井さんはリタイア後、〈暇に任せて〉自ら組版されたそうだ。糸かがりで穴は二カ所、見返しを添えて寒冷紗で背固めしてあり、ふつうに読んで丈夫ながら糸さえ切れば本文をいためることなく折りがばらばらになるとのことで、会場にはこれを素材として製本した作品が並んでいた。綴じの方法や材料、技法のいろいろを楽しめたけれども、タイトルに猫の文字を持つあまりに有名な本なのに、表1〜背〜表2を一覧する展示方法においてひと目で猫の本とわかる装いの割合が多くて重かった。自由に個々の存分を尽す発表の場と知りつつ、装丁が一枚のキャンバスではないことを改めて感じられて有意義だった。
明治38、39、40年刊の三巻本のそれではなく、明治44年の初版から昭和5年には129版を重ねていた寸珍版を酒井さんが底本としたわけが語られた。東京製本倶楽部の会報誌No.75にも報告があるが、これこそが読者の裾野を広げたと考えていること、漱石が通して校閲し得た最後の猫本、いわく〈生前の漱石による唯一の「著者認定本」〉であり、〈気っ風の良い江戸弁によるルビ〉が〈江戸っ子漱石の面目を十二分に発揮〉しているからとおっしゃった。三巻本の初版には全体で70数カ所フリガナがあり、没後刊行されたものは〈総ルビがスタンダード〉なのに対し、寸珍版はほどよく付されているそうだ。装丁は三巻本が樋口五葉、寸珍版も五葉のようで、いずれも〈明治期のやみくもな「洋風」〉により、三巻本は表紙より本文が大きくて小口と地が袋になっていて天に金、寸珍版は三方小口にかぶさるような表紙でありながらぴったりの函に入れられたために表紙のはみ出たところが強く折れてしまうなど、それぞれに〈不思議な作り〉をしている。今、そのモデルに比べればかぶれた稚拙な作りで奇天烈だけれども、当時生きていれば私などはそのモデルを知るはずもないからジャケ買い組になっていただろう。一番最近読んだ『吾輩は猫である』はスマフォで青空文庫版である。