年末で閉店と聞いた古書店に向かうとシャッターが下りていた。今日は早じまいされたのかなと軽い気持ちでネットで探ると、十日前に閉店していた。いつもなら可動式の棚が並ぶ入り口に立ったまま、最終日のようすを書いたどなたかのブログを読む。たくさんのお客さんがいらして思い思いに店主に声をかけておられたそうだ。渋谷区渋谷一丁目、青学前にあった巽堂書店。昭和9年の創業で、現店主は二代目だった。立ち寄るばかりでたいした買い物はしなかったし店主とまともな会話をしたこともないけれど、この道を歩けば必ず寄った。こういう場所が町を人の居場所にしてくれる。
数件先の中村書店に向かう。こちらは昭和24年の開店で、創業者の中村三千夫さんについては、なないろ文庫ふしぎ堂時代の田村七痴庵さんが書いた「渋谷宮益坂上の中村書店に行ってみなさい」(日本の古本屋「古本屋のエッセー」/初出・東京古書組合発行「古書月報」)を今もネットで読むことができる。http://www.kosho.ne.jp/essay/magazine04.html
店に入って左側からずずずーっと、棚の前に積まれた「VOU」の乱れを直しつつ詩集棚を奥まで眺め、Uターンして別の側の棚を入り口の方へ戻る。ドアに手をかけたところで、茄子紺の表紙に『文楽と土門拳』という文字をぎゅうぎゅうに詰めた冊子が目に入る。44年前の正月、昭和49年1月4日から22日まで新宿・小田急百貨店本館11階のグランドギャラリーで開かれた同展(主催:財団法人文楽協会、土門拳写真展事務局)の図録(文:武智鉄二 構成:田中一光 編集・発行:土門拳写真展事務局 制作:駿々堂)だ。昭和47年に大著『文楽』(土門拳「文楽」+武智鉄二「土門拳文楽 その背景」の2冊セット)が、同じく田中一光の構成で駿々堂 から刊行されている。
人形の面、人形師や三味線方、人形遣いの手や腰周りのアップから、組み立て中の大道具部屋、舞台など、全体のおよそ9割がどっしりとした土門拳(1909-1990)の写真だ。いずれも、左右162ミリ×天地257ミリ中、下部47ミリの墨ベタに、ちょっと平たい白い文字でごく短い説明がある。全体に黒っぽいけれど黒々と刷ってやるぞというのではなくて、写真の白黒のグラデーションが紙にしっとりしみ込んでいると感じる。見返しはレザック66、それに表紙カバーをノドまで折り込んだ簡易な造本で、糸綴じなのでよく開く。4枚ごとにノドにあらわれる綴じ糸の白は、人形がかぶる手拭いのほつれや手足を吊るひも、衣装の柄や三味線の弦に同期して邪魔にならない。
「文楽私語」と題された土門の文章もいい。特に、舞台にかぶりつきで仕事をしながら聞こえてくる、浄瑠璃の語りや三味線の掛け声など人形芝居に必要なもの以外の音の蒐集がおもしろい。チョッという舌打ちは後見を呼ぶ音。立廻りで互いの調子をとるための人形遣いのスウスウという長い呼吸音。引込みで太夫に合わせて思わず人形遣いからもれたハアテレツクテレツク、スッテンテン。人形のもみじ手が屈伸するたびにたてるカチカチや立廻りで頭がふれて出るゴツンゴツン、等々。土門には人形そのものも、ほかの仕事人と等しく見えていた。〈浄瑠璃や三味線や下座が、それぞれの専門部門で、深奥な技術的展開をとげているあいだに、人形は人形で、また、独特な絵画的形象美の完成への道を、ひたすら突き進んでいたと言えるのである。そうだからこそ、写真の世界にも、被写体として、完全にはまりこむことができたのであると、私は考える〉。
よほど文楽座を懇意にして土門の撮影は始まったのだろうと思いきや、芝居の世界は初めてで、緊張のあまり神経衰弱になりそうだったそうである。昭和16年から2年余、〈ぼくは心のふるさとへ帰るように、日本の古典、弘仁彫刻と文楽人形浄瑠璃の撮影に没頭した。昭和16年12月8日、対米宣戦布告の号外を見たのも、大阪四ツ橋の文楽座の楽屋だった。留守宅に赤紙がきてはしないかと、いつもあやぶみながら、空きっ腹をかかえて、旅をつづけていた〉(『古寺巡礼』第1集)。
昭和18年、土門は文楽座の座員に「文楽座員調査表」なるものをガリ版で刷って送る。添えた趣意書には、進行中の撮影は本にまとめること、そこに座員全員の顔写真と芸歴をのせたいことが書いてある。そして――。〈大体自分の生まれた年や師匠など判り切っていると思い勝ちですが、それは生きている自分だけの話であります。五十年とたたない明治時代の有名な名人上手の人達でも今ではどこの生まれやら、いつ生まれたのやら判らなくなっている人が多いです。こういうことは生きている人を生きているうちに本人も他人も祖末にするからだと思います〉。調査表はほぼ回収し、翌年の暮れには6000点余りのガラス乾板を土門の自宅の防空壕に運んで埋めている。さらに翌年、大阪にあった文楽座の本拠地は空襲にあい、多くの資料や人形が、土門の写真の中だけに残された。