製本かい摘みましては(162)

四釜裕子

中宮彰子が初めてのお産で男児を産んだ1008年、産後の里帰り中に女官の一人でもある紫式部を呼び出して、すでに話題となっていた「源氏物語」の豪華本を、夫・一条天皇への贈り物として作るのを命じたことが「紫式部日記」にある。〈色々の紙選り整へて、物語の本ども添へつつ、所々にふみ書き配る。かつは、綴ぢ集めしたたむるを役にて、明かし暮らす〉(山本淳子編『紫式部日記』)というのだが、期限付きのこれらの作業が、いったいどんなものだったのかと思うのだ。

山本淳子さんの講演録「紫式部、『源氏物語』への道 試練・覚醒・自己陶冶」(京都府「KYOあけぼのホームページ」http://www.pref.kyoto.jp/josei/documents/1242623531904.pdf)によると、〈清書は能書の人に頼んだわけです。原稿は能書の人が自分の所に持っておきつつ、書いたきれいな字の清書の紙が届く。そしてその分を綴じ集めて一冊の本にする。その本が幾つあったかはわかりません。ともあれ紫式部はこの係にあたり、これを仕事にして夜を明かし日を暮らす。彰子も一生懸命にこの仕事にあたっています。一枚の敷物の上で、冷たいのに産後2か月ぐらいの人が、朝から晩まで紫式部と差し向かいで仕事をしています〉。

いったい何人に清書を頼んだのか。先方に送るための原稿も紫式部が書いて用意したということか。その作業のうちに修正することもあっただろう。依頼主をおもんばかった加筆もあったか。清書されて次々戻ってくるものを、手元に残した原稿に照らし合わせて確認もしただろう。訂正はどうしたのだろう。やっぱり一から書き直させたのか。完成品を順番に揃え、二人で話をしながら手ずがら折ることもあったのだろうか。そしてどう綴じたのだろう。誰が製本したのだろう。仕上げた冊子は何冊なのか。

綴じ方について、橋口侯之介さんの「和本で見る日本書物史 第3回 書物の歴史 平安 物語と冊子本 『源氏物語』の原本に至るまで」(2014年成蹊大学文学研究科文献学共通講義 http://www.book-seishindo.jp/bunken2014/kyotu_2014A-03.pdf )に推理があった。

〈「とちあつめ」とあるのは「綴じ集め」ということである。綴じるのは糸などで縫うことをいい、糊で貼っていくのと微妙に違う。『枕草子』に「薄様(うすよう)の草子。村濃(むらご)のいとしてをかしくとちたる」という一節がある。「薄い紙に書いた草子の村濃の糸(濃い色と薄い色で染めた糸)で優美に綴じたもの」ということで、糸を使って綴じている。書かれた紙を丁寧に折り重ねて、そのノドのところをきれいな糸で綴じる方法で、結び綴(むすびとじ)という(いまはこれを大和綴という)。これは技術的に容易なので個人でもできる製本方法である。表紙や糸にセンスのよい選択をすれば、美しい本ができあがる。『紫式部日記』に出ててくる草子はこの方法ではないかと私は想像している。糊は虫を寄せ付けて虫害のもとになるので避けたかった。組糸にすると丈夫さでは糊以上、糸が切れたら取り換えればよい。紫式部にできた製本はこれだろう〉。

彰子の前でも紫式部が手ずから製本したのではないか、ということか。

改めて考えると、薄い幾重の美しい紙を折り重ねて配色よく紐できっちり結ぶのは、つくづく着物の着付けに似ている。でもいかに紙や糸が貴重だったとはいえ大和綴じはあまりにシンプルだし、綴じ糸をプチンと切ればばらばらになるから仮留め的で、雅なる宮廷世界には似つかわしくないように感じてしまう。山本信吉さんの『古典籍が語る』(八木書店)を読んでみる。

〈したがって、私は大和綴という装幀は、綴じ穴が上部に二つ下部に二つの計四穴で、上部二穴、下部二穴を色糸で織った平織、あるいは組紐で綴じた装幀法を指すものであること、しかしこの装幀法は当初からのものではなく、粘葉装本が糊り離れをした場合に応急手当てとして行われた日本的な綴じ方と考えていた〉。
しかし、冷泉家の時雨亭文庫にある古写本に大和綴装が多いのを見た山本さんは、〈製本にさいして始めから綴じ穴を上二つ、下二つとあけて、それぞれを色糸で綴じた装幀法が、平安時代後期に日本的装幀法として成立していたことは確かであると思われる。この装幀法の特色は『源氏物語』のなかで草子の綴じ糸の鮮やかさを愛でている源氏の姿にみられるように、本の料紙と綴じ糸の変化の妙を求めたことにあったのであろう。しかし、その成立の原因は粘葉装本の糊り離れした料紙を応急処理のため糸で綴じたことに起源があったことは間違いないと思っている〉。

仮留めとして始まったにせよ、糊ではなく糸を使った新しさにいち早く反応したのも、清少納言や紫式部だったということか。

ここからはなんの根拠もなくて妄想の域を出ないけど、糊でいちいち貼る粘葉装よりも、大和綴の最後にぴしっと糸で締めるというしぐさというのも紫式部好みな気がする。それで「源氏物語」も大和綴で仕上げようとしていたとして、このときの二人の作業を見た彰子の兄・道長が「お産直後でしかも寒いのになんでこんなことしてるの?」とか言いながら、いろいろな高級紙や墨、筆、硯を差し入れしている。しかし大和綴の肝になるであろう糸や紐はそこに含まれておらず、さすがの道長も手が出ないのか、出せないのか、出させないのか。いずれにしても、天皇に捧げる超豪華冊子を最後に締め上げる紐をどうするかの相談は、密室で女二人というのがよく似合う。

山本淳子さんは「源氏物語」の新本作りについて、一条天皇が源氏物語を読んでいることを聞き知った中宮が、一条天皇へのプレゼントと考えたと思っていたそうだが、ある研究者が「これは彼を引き寄せるためのものだ」と言ったのはそのとおりだとして、〈彼を惹きつけることができる源氏物語の新しい部分「お読みになったことのない部分を紫式部に書かせました。どうぞ、読みに来てください。」というわけです〉とも話している(前出講演録より)。単に制作を指示するのではなくて、作者を身近に独占して作業にあたらせたのはそういうわけか。彰子はたった一人で最初の読者になりたかったのだろうし、その物語を綴じて最後に特別な紐で作者と二人で締め上げるというのは、必要な儀式だったようにも思えてくる。