日曜日の電車を乗り継いで、西荻窪の書店・忘日舎へ。コロナ禍のなかで引きこもる日々がつづいているが、ひさしぶりに訪ねた店内には、新刊や古書の詩集を集めた棚が新設されていた。ここ数年、店主がひとり、ふたりで営むいわゆる「独立系書店」をめぐっていて気づいたことだが、「いまこそ詩のことばを届けたい」という思いを持つ本屋さんが少しずつ増えていると思う。
忘日舎のカウンターには、一冊の小さな、まあたらしい詩集が置いてあり、店主の伊藤幸太さんが「すばらしい本ですよね」とそっと差し出してきた。
ぱくきょんみさんの第五詩集『ひとりで行け』(栗売社)。手に取った瞬間、余計なもののない、それでいて必要なすべてが揃っている本だと直感した。画家の高橋千尋さんの装画を用いたデザイン(装幀は中山雄一朗さん)も、詩人の井坂洋子さんのメッセージが掲載された栞も、すばらしい。そしてもちろん、ぱくさんの詩も。
ホンジャ カラ
ホンジャ カラゲ
ひとりで行け
ひとりで行くんだ
母をふり返り、ふり返り、歩く。
——ぱくきょんみ「ひとりで行け」より
詩集の最後には、「済州島へ——跋に代えて」と題された文章が収められ、在日一世の父とともに、父の故郷である島を歩いた経験がつづられている。
昨年、韓国・済州島の詩人ホ・ヨンソンの『海女たち』の日本語版(姜信子・趙倫子訳、新泉社)が刊行され、この詩集は済州四・三虐殺事件など、動乱を生きのびた島の女性たちへの聞き書きをもとに、彼女らの声にならなかった声をつたえる内容だった。
ぱくさんの『ひとりで行け』は、『海女たち』へのアンサーソング的な詩集とも言えるだろうか。巻頭に置かれた表題作は、四・三の動乱を逃れ、海女だった母と生き別れ、日本行きを決意した在日の父の個人史が背景にあることがうかがわれ、読んでいると胸がふさがる思いにおそわれる。
しかし同時に、そこでは、特定の事件や出来事をめぐる個別的な経験を超える何かが語られていると思う。
人間の歴史の中で、「何から逃げようとしていたのか、わかっていた」という痛ましい記憶を押し殺すようにして生きなければならなかった、そして逃げ続けなければならなかったすべての無名の人たちのため息、歯軋りのような何か。
「何から逃げようとしていたのか、わかっていた。いくつもの海を渡ってきた。また、こうして海を渡って、ここから逃げようとしている。」
——ぱくきょんみ「海と ここと」より
「ことばにしたら真実を隠すことになるのかもしれない」とぱくさんは慎重に語る。英雄主義的な大きな物語からこぼれおち、漂流する小さな声のかけらたちを拾い集めるようにして編まれた詩を読みながら、いま、自分自身の歴史意識がはげしく揺さぶられているのを感じている。内側からこみあげる、この名づけがたい不安で不穏な気持ちは、いったいなんだろう。
わたしたち
何から
逃げようと
してきたのでしょうか
わたし 足を挫いても 歩いてきました
あなた 待ってくれませんでした
わたし かみしだいた 気持ちになりました
あなた 待ってくれませんでした
わたし 手のひらからこぼれる 水のようでした
あなた 待ってくれませんでした
——ぱくきょんみ「ひかり」より