製本かい摘みましては(192)

四釜裕子

 折り目はきっちりつけなんし~
 マブだと思って摺りなんし~
 憎いあいつと刺しなんし~
 銭がなくなりゃ切りなんし~

蔦屋重三郎(1750-1797)が初めて作った吉原細見「籬(まがき)の花」を、河岸見世の二文字屋で女将のきくや遊女たちが歌いながら綴じている。蔦重や”助太刀”の浪人・新之助も一緒になって、断裁したり題簽を摺ったり貼ったり重石をしたり、竹の指輪をはめて紙を折ったりかがり穴を開けたりと手慣れた感じだ。大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」第七話で流れてきた、いわば製本仕事歌。なにしろ二文字屋の皆さんは第三話でも綴じている。このときは蔦重が初めて作った入銀本「一目千本 華すまひ」で、まるまるの玄米おにぎりが山と積まれて手間賃代わりになっていた。

前の大河ドラマ「光る君へ」で描かれた「源氏物語」の製本シーンはこの連載の(189)で書いた。あちらは材料も道具も人も住まいも何もかもが超豪華で、みんなで歌を歌うことなどなかったけれども、手を動かしながらどんな話をしていたのだろう。江戸と平安、立場も衣装も対極ながら手元を見れば同じこと、ひたすら折って切ってかがるのだ。先ごろgggで中国のブックデザイナー・呂敬人さんの展示を見たが、そこにもあった線装本の工程ももちろん同じ。極めてシンプルで見ればだいたいわかるだろうに、いつの時代も若い人が新鮮がっておもしろがるのは、おもしろがるだけで実際に手を動かす人がいつも極めて少ないからかもしれない。

”製本仕事歌”は他にも何かあるかしらと『日本民謡大観』全9巻(1980  日本放送出版協会)の目次を試しに国会図書館のサイトで見てみたが、今のところヒントになるものは得られていない。『日本民謡大観』は昭和16年にNHKが行なった事業の成果で、町田佳聲(1888-1981)が日本各地を巡って録音した、およそ2万曲の楽譜と歌詞と民俗学的な背景がまとめられている。町田佳聲は作曲家で民謡研究家、その4年前から、おそらく日本で初めて民謡のフィールド・レコーディングをしていたそうだ。

昭和16年のそのときに録音した各地の労働歌や仕事歌を、NHKラジオの「音で訪ねるニッポン時空旅」でたまに聞く。『民謡とは何か?』(2021 音楽之友社)の著書もある富山大学教授の島添貴美子さんの解説がいい。2月22日の放送では山形県真室川町(旧安楽城村)の「あがらしゃれ」(唄・佐藤きみ他)も紹介していた。山形県の村山弁だと「あがっしゃい」、もっと丁寧だと「あがてけらっしゃい」となるであろうか(自信なし)、とにかく酒をすすめる歌だという。一度聞いて雰囲気はつかめたが、「言いたくないけど○○で困る」みたいなところのつながりがピンとこなかった。聞いた歌詞を文字にすることができなかったので、NHKアーカイブスの「みちしる」から引用します。

 「あがらしゃれ」(昭和16年録音版から)

 あがらしゃりゃアーねなや お前そげだヨー
 (コイチャト)
 お前ーエ あがらねエど気がすめぬ
 (アリャ飲む アリャ飲む)
 一つばりゃア 注さずでもよかろや 
 皿鉢飲まれまい茶碗酒
 大沢三千石 
 言いたくねじゃねども 夜飯ゃ夜中でどど困る

番組では、合いの手が印象的だったので「これは飲み会のコールみたいなもの?(笑)」みたいな話も出ていた。島添さんがいろいろ調べて歌詞を”翻訳”して解説していたので、聞き取れた範囲で引用してみます。

 「あがらしゃれ」(島添貴美子さんによる”翻訳”)

 おあがりください あなたはどうしてそうなんですか 
 あなたがお飲みにならないと私の気が済みません 
 一杯だけならおやりになってもいいでしょう 
 皿の鉢で飲まれないなら茶碗でどうぞ 
 大沢は三千石
 言いたくはないけれど 夕飯が夜中になるのですっごく困る

「飲んでもらわないとこちらの気が済まない」ということは、もしかして歌う場面は宴席ではなく自宅なのか。家長が招いた客に対して「とっと飲んで帰ってよ、夜ごはんが遅くなって迷惑なんだよね」という、女(嫁)の胸のうちの声なのだろうか。あるいは「あなた」は、いつもつきあいで酒をすすめられ困っている下戸で、それにとうに気づいている者としてのひそやかな助け舟とひそやかな甘え、とか?? 

そのあと、現在よく歌われているバージョンが流された。いわゆるのど自慢大会などで歌われる機会が増え、多くの人が歌いやすいように、誰もが聞き取りやすいようにと手が加えられ、飲んべえにはたまらない素朴で愉快な民謡だよね~とか軽くまとめられているのもネットで見た。〈わかんないというのは歌としては困るんだけれども、わかりすぎるとおもしろみがなくなる〉と、言葉を選んで話す島添先生。

『日本民謡大観』の目次を追っているときに「最上川船頭唄」が出てきて、思わず口づさむ。西村山郡左沢町、東村山郡寺津村、飽海郡南平田村、東村山郡長崎村の4つのバージョンが収録されていたが、私のは左沢版だろう。口から出たそのままをここに書いてみます。

 「最上川舟唄」(私の口から出てきたバージョン)

 よーいさのまがしょ
 えんやこらまーがせ
 ええーやぁえーえぇ
 えーえぇやぁえーえ
 よーいさのまがしょ
 えんやこらまーがせ

山形県寒河江市に生まれた私は小学校でよく聞かされていたが、あとに続く本筋の歌詞は出てこなかった。当時はどれだけ古くから歌い継がれてきたことかと思っていたけれども実際は古くなく、脈々と歌い継がれてきたわけでもなく、テレビ番組のために作られたものだと知ったのはずいぶんあとのこと。「芸術新潮」で石田千さんが連載していた「唄めぐりの旅」(2014.3)で読んだのだと思う。

昭和11(1936)年、NHK仙台放送局が最上川の番組を作るにあたって大江町左沢の渡辺国俊さん(1905-1957)に舟唄の紹介を頼んだところ、地元に伝わる舟唄はあるけれども〈追分調に新内くずしのようなものが入っているので、最上川下りにはふさわしくない〉と、同郷の民謡家・後藤岩太郎さん(1891-1953)に相談。後藤さんは最上川を何度も上り下りして熟考し、ようやく〈「追分節」を本唄の源流に、船頭たちのかけ声と合わせ作〉りあげたのだそうだ(引用は大江町の公式サイトより)。

大江町の説明はさらに続く。〈後藤氏の方は、もっぱら歌い手一筋。農業のかたわら、建設関係の仕事もしていたようですが、婚礼やお祭りなどにはひっぱりだこで、テノールの美声が大いに持てはやされました。(中略)遺稿によると民謡試聴団の町田嘉章先生が「この舟唄は昔からあったのか。」と言われた時に、たった一言「そうだ。」と答えただけでした〉。昭和16年にNHK仙台放送局が柳田國男、折口信夫、中山晋平、町田佳聲ら21名に声をかけ、東北民謡試聴団として急行列車の1両を貸し切りにして東北6県を回り各地で民謡を聴いたそうだが、それはこのときのことだろう。

今や最上川が運ぶのはもっぱら観光客で、船頭たちも「最上川舟唄」を歌い継ぐ。いい動画があった。Kenichi Miuraさんという方の「山形民謡【最上川舟唄 】 2017」、舟下りで乗り合わせた船頭の岸昭夫さんが歌う姿を撮っている。舞台でもスタジオでもないところで歌われて、舟唄よ、それってものすごく幸せなことなんだぜ!と、言いたい。