製本かい摘みましては(75)

四釜裕子

部屋の中にまちがいなくあるはずの本が探せないというのは多くの方が体験されているでしょう。うちなんか狭いし物も少ない、なのにまあどう探しても見つからないことがあるもので、「いいです、ネットで探します」となるわけです。関係するひとを勘定したところで決して割に合わない代金を払って、およそ翌々日にはどこかの誰かからこの部屋に探しものが届く。便利に喜びちょっと憂いてみたりして、それでもひとりイライラするくらいならモニターの先の誰かにあてて書名だとか著者名だとかをバシバシ打ち込むおこないのほうが、いつかなにかに有効な足跡になるように思える。

これまで購入した電子本が10冊に満たないので実感はないが、買った電子本を端末の中で探すのはたやすそうだ。書名を文字検索すれば行き着くのでしょう?とやってみたらできなかったが、設定の加減か。それぞれの書店の「本棚」には紙バージョンの表紙もしくはそれに似せたアイコンが並ぶ。インプレスと大日本印刷による「オープン本棚」は表紙画像を並べると小さな端末画面では一覧しにくいからと背画像にしているそうだが、中綴じの冊子などはどう表示されるのだろう。紙の本の表紙や背が負ってきた探されるため見つけられるための役割を思う。

とは言えうちの本棚の場合、本の背がきれいに並んでいるわけではない。おおまかな分類こそしてあるが空いているところに差し込む(突っ込む)という整理法によっているから天や地が手前にきているものもある。であるから本を探すときの一番のよりどころは(○○のころ、○○のあたりに入れたはず)というもので、誰にも手伝ってもらえない。こういう勘は電子本棚を探すのに引き継がれるものではないし、そもそも無用だろうし、替わってどんな勘が育つのだろう――。

こんなことを思うのはある会社の倉庫の整理に感激したからである。歌舞伎をはじめ舞台やテレビの小道具を扱う藤浪小道具さんで、うず高く積まれた小道具が広大な倉庫に延々と並んでいる。いつ求められてもすぐ応えられるように、数を揃えメンテナンスを日常としている。演目と場面を言えばたちまちに必要な小道具が目の前に揃えられ、用が済めばあっという間に元に戻される。仕事なのだ、そんなところにいちいち感激されても迷惑な話だろうが、そのスピードと始末の見事は緊張感と清々しさで美しい。ものを探すときのぼんやりした個人の勘とプロのそれとは全く別のものである。それでもひと続きにあることは間違いないし、あたまの中の検索もこの先にあるのだと思える。