製本かい摘みましては(85)

四釜裕子

郵送物はメール便が多くなった。どこのお宅もそうだろう。たまに郵便で届くと、1960〜70年代の記念切手がたっぷり貼ってあることがある。料金に合わせる第一の目的をクリアしつつの絵柄の組み合わせにうなることもある。このころの切手はほんとにきれいだ。比べて昨今の切手はひどいのが多い。窓口に行けば切手は貼らなくてもいいのだから、むやみに発行回数を増やしてわざわざ汚いものを世の中に出すのはやめたらいいのに。昨年は何度、記念切手を買っただろう。

昭和7年生まれの父も長い間切手を集めていたが、数年前に「使ってくれ」と送られてきた。選別済みのばらばらのものだ。シート買いしていた父は、透明のフィルムをカットして切手をくるみ、専用のファイルに整理していた。専用といっても既製品ではない。リング式のやや厚めの無地の台紙で、今思えばけっこう手間をかけていた。きれいで憧れた。いつのころからか姉と私はそれぞれ既製品の切手ファイルを持った。記念切手が出るたびに1枚ずつ増えていき、眺めては並び替えて遊んだ。同じ切手が入っているのに2人のファイルは別物に見えた。

年に3回発行する同人誌も数年前からメール便になった。有志が集り作業をするが、宅配会社が引き取りにきてくれるのでものすごく楽になった。それまでは、というと、発行元であるデザイン事務所があるペントハウスで封入を終えた封筒を紙袋に分け入れて、重い扉をあけて階段で10階まで下り、今にも止まりそうなエレベーター(定期検査は受けてます、念のため)を独占して1階までおろし、歩道を横切り、車道に一時停止した車に積み込み、郵便局に運んでいた。夏は暑くてたいへんだったし、冬は寒くてたいへんだった。

プロの仕事は早い。こんにちわーと時間通りにたった一人でやってきて、箱に詰め込み、階段を下り、エレベーターに乗り、台車に積み替え、事務所に着き、ぴぴぴーとやって請求書がくる。「あんなに苦労してたのがうそみたい。すごいよね」「しかも安い。細かいものをあんなにたくさん。割に合わないだろうになぁ」「明日か明後日には方々に着いちゃう。今日これから呑んで明日目が覚めたら夕方なんてことになったらメール便のほうが早くついてるようなもんよ」「呑まずにメール便で帰っちゃう?」作業のあとの定番慰労宴は続く。

同人は毎号ひとり10冊を受け取る。読んでほしいあのひとこのひとにときどき送る。郵便だと120円か140円、メール便だと80円。まずは切手箱をしばし眺める。あのひとこのひとに似合う切手は必ずやある。のだけれど、瞬時に自分の手に引き寄せるのはむずかしい。夕方にもなれば白旗をふってコンビニに向かい「メール便でお願いします」。日本語の上手な中国からの留学生が「普通でいいですか?」。客を待たさないいつもの手際。ガムの一個、おでんの一品でも買えばいいのに、(いつもメール便ばかりでごめんね)。