製本かい摘みましては (115)

四釜裕子

ハードカバー製本のワークショップでは「製本用ボール紙」を準備してきた。1ミリか2ミリ厚の硬い厚紙で、これを芯にして紙や布でくるむ。用意する側としては予想外の失敗をさせない安心のためでもあるが、自宅で自分で作ってみようという人にわざわざ「製本用」を勧めるのがいやだった。身近にあるちょっと硬くて厚い紙――ノートの台紙とか通信販売の梱包に入っている厚紙とか段ボールとか、なんだって、それなりに大丈夫なはず。あるとき参加者に厚紙の見本を提示したうえで各自調達してもらったところ厚みも硬さもさまざま集まり、向き不向きを見比べたり工夫工面を考え合ったり、そういう話ができてよっぽど楽しかった。

その延長で、段ボールそのものを表紙にした本を作ってもらったこともある。バーコードや印刷されたキャラクター部分をいかしたりマスキングテープで縁を始末するなど、みなさんなかなか手慣れていた。なかにチャレンジャーが1名。ぼろぼろでかぎ裂きのある段ボールを持って来て、麻糸を刺したりペイントしたりとパンクに仕上げた。「家にこれしかなかったから」とその人は言った。そうだった。段ボールの箱なんて薄汚れたものだった。母から果物や漬物が送られてくる箱はいつも使い回しだったし、こちらも次に使うときのためにとその箱をすぐ捨てることはなかった。でも最近は、つい早い安いと通信販売をポチってしまうせいで、梱包材である段ボール箱も順に処分せざるを得なくなっている。角もつぶれていないしさほど汚れてもいないのに、リサイクルされるとはいえもうちょっと使い込んでから資源ゴミに出したいところではある。それでも、梱包するモノに特化した構造になっていたりすると、ひとまず平らに展開してどんな型に抜かれているかを見るのが楽しい。モノを固定する部材まで段ボールで作られていたりすると、なお楽しい。

段ボールは、英国でシルクハットの内側に汗をとるためにつけた波型の紙が起源だそうである。そのクッション性から包装に用いられるようになり、日本には明治になって入ったようだ。段ボールなどのメーカーである株式会社レンゴーのウェブサイトを見ると、1909年に前身である三盛舎が日本で初めて段ボールを製造、1914年に香水瓶用の段ボール箱を手作りしたとある。創業者・井上貞治郎の生涯も興味深い。起業前に上野御徒町で紙箱道具や大工道具の注文をとる仕事をしていたそうである。そこで目にした手回しの綿繰り機のようなものに興味を持ち、紙に皺を寄せる道具であること、ブリキ屋がそもそも使っていたもので、ロールに紙を通して波型をつけていたこと、「電球包み紙」と呼んでいたこと、馬喰町の化粧品会社も同様の紙を使っているが、こちらはドイツ製でもう1枚のりづけしてあることなどをつきとめ、その後自ら機械を考案、製造にこぎつけている。商品化するにあたって「なまこ紙」と呼んでいたのを「段ボール」と改めたのも井上だそうだ。弾力紙、波型紙、しぼりボール、コルゲーテッド・ボード……いろいろ考えた末、結局はゴロで選んだと、日経新聞の「私の履歴書」(昭和34年)に書いておられる。

とある段ボール工場を見学させてもらった。巨大なトイレットペーパー状の原紙がいくつも並ぶ場内に、3枚の原紙を貼り合わせる機械「コルゲート」の爆音が響いている。ダイヤル型のロールで挟んで波型をつけた真ん中の紙は両面に接着剤が塗られ、上下の紙とともに熱した板で挟まれて圧着、あとは必要な大きさにカットされて段ボールシートが完成する。機械の長さは100メートル以上あるだろう。場内は寒く機械には湯気がたち、できたての段ボールは温かかった。このあと必要に応じて印刷や型抜き、あるいは巨大なホッチキスのようなもので留めて商品となる。この会社も創業しておよそ100年、工場の操業も50年ほどだそうである。戦後は木箱にかわって需要が増し、軽くて強い特性をいかして襖やパレットなども製造してきた。積み上げられた出荷待ちの段ボールの側面を見ると、波の高さはいくつかあり、2段、3段重ねもあった。美しい波型を見ながら、栃折久美子さん考案の製本法を思い出した。リップルという段ボール紙を表紙に使った中綴じで、「ド(dos=背)+ダン(段ボール)」という。製本アーティストの山崎曜さんには段ボールに切り込みを入れるだけで開閉する「段ボールキューブ」がある。今月銀座で開かれる個展でも見られるだろう。段ボールが「段ボール」でよかった。なんといっても響きが愉快じゃないですか。