製本かい摘みましては (78)

四釜裕子

八年ぶりに引越して、前回越したときとあまりに異なる二つのことに驚いた。自分たちの体力、それと、地震への備えの気持ち。いつでもとにかく壁には棚を積み重ねてきたから、このたびもまずは天井いっぱいまで並べ始めたが、どちらからともなく「これ、ないね」

作り足してきた棚は奥行きや幅がまちまちで、そのせいかいつごろどの場所のために作ったのかけっこう覚えているものだ。模様替えや引越しのたびに入れ替えたり組み直したりしてきたが、今回は高く積み上げることはやめ、あふれた本は近所の新古書店にまとめて売ることにした。段ボールを開いてはあらため、処分するものを別の段ボールに入れ直す。どんどん増える。面白いほど作業が進む。躊躇がない。私にとっての「捨て時」らしい。

経営者が決断する事業の「捨て時」とはいったいどんなものだろう。無知と無責任と無邪気を全開して、それを「思いとどまってください」と言いに名古屋にでかけた。昭和三十三年創業、和文欧文の厖大な数の母型をはじめ五十台の活字鋳造機やベントン彫刻機から印刷機まで揃う活字鋳造所だ。手動鋳造機も現役だが、事業縮小、もしくは廃業をお考えという。社長自身がすべての機械のメンテナンスと操作をこなせるので、この工場で地金から活字を作り組版して印刷するすべてを見ることが可能だ。今の日本でそんな場所がほかにあるのだろうか。

聞けばすべて独学という。ひとができることは自分もできるはず、と、次々に技術を体得したそうである。ある時期には凝って千五百種の家紋の活字を彫り上げた。見せていただいたが繊細で均整がとれていてスックとしてなんとも美しい。四隅には通し番号も振ってある。会社を経営しながらのことだから、休日や終業後の作業で八年かかったと社長は笑う。「社長込みで工場まるごと活版産業技術遺産!」ふざけて言ったが、言葉通りのようにも思う。遺すべきものを見分ける目と遺していく知恵が欲しい。