みどろの国から90――ベオグラードへ

藤井貞和

ベオグラードの少女の言う、
「私の生まれてから、国ではもう、3回戦争があった。
戦争って、そんなにひどいものではないよ!
思われるより悪くない。 父が言うように、
人が死ぬのは、そんなに簡単なことではない。
怖がらないで!」(2001年)

「数日間、停電。 冷蔵庫のなかの食料は、ぜんぶ
腐ってしまった。 食事をあたためる、方法がなくて、
冷たい、いろいろを食べた。 高い、建物に住んでいる、老人は
降りられない!」

「私の住んでいる、15階まで、お皿を洗うための
水を10リットル、一人で運んでいった。」

「よかったのは、
この空爆のとき、季節が春だったことだ。
ボスニアの戦争のときは冬で、
経済封鎖でつらかった。
北風は壁を無視しているみたいで、
骨のなかへ直接、はいる。」(ディヴナ)

ディヴナは、古いセルビア語で、「素晴らしい、
神々しい」(形容詞)。 デュシャンDušanは「duša(魂)の
特徴を持つ」。 あの少女が、10年をへて、
男の子の出産です。(2012年1月29日〈夜9時5分〉)

おめでとう! デュシャンのために、
写真を見ながら、作品を書こう。 近く送ります。
今度こそ、平和が世界に訪れる日であるように、
デュシャンのために祈ろう。 去年も今年も、
日本では祈念と喪と、そして新しい誕生日のための、
10年に向かって、動き出せないでいるけれども。(3月3日)

(1999年6月、数十万人の難民が帰宅し、行方不明者の必死の捜査が続けられ、日本ではいま、2012年、帰るなき人々を日本国の大多数の人々が、切り捨てて忘れようとし、喪なきわれらの同胞は洋上に、石のしたに鬼哭している。〈3月15日、南相馬市を訪れ、桜井市長、若松丈太郎さん、総合病院長にお会いしたあと、「警戒区域」(避難地区、立ち入り禁止区域)の検問場所の手前まで、行って参りました。〉)