製本かい摘みましては (86)

四釜裕子

NHK「小さな旅」の大野雄二さんによるテーマ曲は、いつから流れているのだろう。田舎生まれの若者だった私には、豊かだけれど厳しい自然と温和だけれど退屈な人がいる「田舎」に媚びるような番組に見えたし、テーマ曲もそれを助長していかにも古くさいと思っていた。若者でなくなるうちにそういう気持ちは失せていき、番組の始まりと終わりに流れるテーマ曲もチャンネルを変えることなくしみじみと聞くものになった。体を過ぎる年月は心を過去につなげてくれる。先輩へ、両親へ、祖父母へ、見ず知らずのありとあらゆる先人へ。未来はそのなかにあるんだなと思える。

「小さな旅」で「旅人」をつとめる国井雅比古アナウンサーに久し振りに会う前に番組のホームページをのぞくと、これまで訪ねた場所の一覧があった。「コブックPDFをダウンロード」なるアイコンに誘われてゆくと、1回の旅をA4サイズにまとめたものが現れた。8つにくぎってあり、地図や写真に旅人のコメントもある。プリントして切り込みを入れて凹凸に折って、小さなガイドブックとして活用して欲しいというわけだ。「小さな旅」の愛称「こたび」のガイドブックだから「コブック」というのだろう。スタッフのどなたかがこっそりと、しかし楽しく丁寧に更新しているように見受けられる。

国井さんが担当した回をプリントして綴じてみた。厚みは5センチ程になり、ころんとしてかわいい。いつか国井さんのエッセイで読んだ「あーちゃんの紫」色の布で表紙を作ってプレス機に入れ、その日を待つ。前日からの雨がどしゃぶりになった。晴れたら市ヶ谷の釣り堀にと思っていたが、近くの喫茶店に場所を変える。話もそこそこ、渡したくてしかたがない。「あの、今日はプレゼントがありまして。これ、何だかわかります?」「……。小さな旅? ホームページ? 何これ……え、どうしたの? 作ったの? へぇ〜」なんてことを言われただけでたまらなくうれしい私。

自分で作ったものを贈るのが好きなひとは作ったものへの思い入れってあまりないんじゃないだろうか。考えるのが好き、作るのが好き、それで驚かれたり喜ばれたりしたら最高という勝手だからその瞬間が頂点、そのあとどう扱われようと処分されようと気にならない。こういう気の持ちようの初体験は小学校のころにある。初めてひとりで編んだマフラーを父にプレゼントしょうと仕上がりを母に見せたら、左右でこぼこでこれじゃあダメよとあっさり解かれ、編み直してくれた。ひろこがひとりで編んだのよ、母はわざわざ言葉を添えて、父はえらく喜び首に巻いて仕事にでかけたが、数日後、父の車の後ろのシートに隠されたようにしてあるマフラーを見つけた。改めて見ると父には似合わない色だった。ごめんよとマフラーに言って、あとは見なかったふりをした。あっさり解かれた時、泣いたのだった。母はだいじょうぶよとなぐさめてくれたのだが、そういうことで泣けてきたのではなかったが言葉にできなかった。

尾崎俊介さんの『S先生のこと』(新宿書房)に、S先生こと須山静夫さんから就職祝いにもらった手作りの本のことがある。絶版になった著書をプレゼントしようとして、手元に一冊だけ残っていた本を複製してくれたという。見開きでコピーした面を内側に折って重ねて白面を糊で貼り合わせ、見返し、花布、硬い表紙をつけ、表紙、カバー、帯はオリジナルに似せてあったそうだ。ひらくと煙草の香りがした、とある。尾崎さんはのちに絶版になった本を古書店で手に入れたが、この2冊は今も手元にあるそうだ。須山さんは手先も器用な方だったらしい。ご自宅の本棚はもちろん、庭に自ら穴を掘り、地下室も作ったという。