製本かい摘みましては(157)

四釜裕子

自分としてはものすごくおもしろくてこれを誰かにしゃべりたい。しかし一番しゃべりたい相手はきっとたぶんそれをただおもしろいと済ますことはできないだろう。どうするか。でも言っちゃいました。笑ってはくれたけど本心はどうだったのか。と言いますのは……。

お待ちかねの冊子が届いた。版元直送、しっかり梱包。分厚くてころっとしてお弁当箱みたい。高さ50ミリはあろうかというアルマイトの。そんな弁当食ったことないけど。開けて早々目が釘付け。50ミリはあろうかという背の白色の表紙カバーが、めくれてる!? めくれた端っこが少々もりあがっていて、5ミリ前後の幅で表紙の背がのぞき見えている。という、そんな感じの空押しがほどこされている。実際、やわい本の背に人差し指かなんかを引っ掛けて乱暴に棚から抜き出せばそうなるような、最初からそんな古着をまとった倒錯のデザイン。凝ってる。

表紙はしかしのぞき見えていた白色ではなく、いわゆるフランスの伝統色のフランボワーズあたりの赤系だった。はずした表紙カバーの裏を見ると、なんと背の天側の端に懐紙をくわえて軽くついたようなフランボワーズ色の口紅のあとがある。シワの具合もほどよくて色っぽいわと思うも、花ぎれの銀色が刃物を思わせ、しおりひものフランボワーズ色は筋を描いてしたたる血のようで生唾を飲み込む。ただならぬ装丁にいそいそと銀色の本扉を開くのであった。

その衝撃に誘われるまま、〈液体ガラスの皮をむく〉なんて一編さえもぴったりだと思いながら一度読み通したところで、表紙カバーと帯を掛け直してまじまじと見る。カバーの端っこのほんのちょっとの微妙な位置。裏に刷られた唇のシワが表の空押しの柄にぴったりで、ぴったりで、ん? これ、ただのつぶれだわ。版元からうちに来るまでのどこかで受けた打撲痕、表紙の丸背のチリの部分が内側にきれいに折れて、フランボワーズ色が向かいの紙にうつるほどの強力な一撃をくらった。

そうか、そうか、そうだよねぇ、そうだよなあ……。だけれども、そういう装丁に見えたのだ。そう見えるような本なのだ。本が本なら即返品してただろう。だけどこれは返すつもりも文句を言うつもりもない。返品交換はむしろごめんだ。もうしわけないと言われるのもまっぴらごめんだ。だからどうかそっとしておいてください。だからこの話はここでおしまいにします。それにしても完璧だ。打撲痕は幅広の背の最上部に横書きされた文字にかぶることなく、いかにもぴったりのバランスで柄を描いている。Poems for なる文字群が、「やれるもんならやってみろ」と一撃を威嚇したかと思わんばかりだ。こんなことってあるんだな。ようこそここへ。クッククック。