リボンちゃん初めて死んだ

イリナ・グリゴレ

リボンちゃんとは家で飼っていた金魚だ。長女の初めてのペットだった。昨年の秋に保育園でいろいろあって元気を出すためにペットを飼うことにした。大人とはいつもこうだ。人間関係の寂しさから人間じゃないものに逃げたくなる。私の場合は植物をたくさん集めて増やす。それでも枯れるときあるからその時には悪いことしたと違和感が残ったまま、また新しい植物を買ってしまう。ペットも死んだら新しく買えばいい、と人間は勝手なものだ。でも交換できない命がある。ほとんどの生き物の場合はそうだ。飼っていた金魚はあまりにも個性的で、ユニークだったので、同じような金魚には二度と会えない。名前は長女がつけた。真っ白いミックスランチュウで頭のてっぺんに赤いリボンのような模様がついていたからだ。女の子に相応しい。デザインしてもこんなにかわいくできないかもしれない。でもミックスランチュウということは、人間によって勝手に作られていたということだ。ランチュウと金魚、様々な種類の物を混ぜる、遺伝子組み換えの植物、品種改良、今の時代だとたくさんある。自然のままと呼べるものが少なくなっているだろう。

金魚のリボンちゃんは、娘たちに愛されて、短いけれどいい一生を送ったと思う。今のスーパーで売っている鳥肉の鶏と同じだ。三か月の間に大きくなるのではなく、たったの一か月で普通の金魚の何倍にもなった。毎日食べすぎぐらい元気にワンちゃんのように餌を求めていた。そして食べる時は、映画で見たアマゾンのピラニアのように、一瞬のうちに獲物がお腹の中に。そのお腹は爆発する、リボンちゃんはどんどん動けなくなった。

死んだ日の朝は非常に寒かった。飼い始めてから四か月がたっていた。北国の二月は生き物にとって一番辛い。室内で育てている植物も半分が枯れ始める。日が伸びて、昼間は少しお日様も見えているのに、夜と昼の温度差が大きく、人間も植物もすべての生き物が苦しい。その日は健康記念日だった。何かを感じて朝の四時前に起きて下に降りた。裸足で階段を踏むと氷の上を歩くみたい。室温は四度しかなかった。四時にストーブのタイマーがついていたが五分前だったので思わずつけた。でも寒い。水槽に近づくと動いていなかった。それはそうだよ、寒いのだ。

私も二度寝する。八時に子供は先に起きて、いつも通りリボンちゃんの水槽の近くに行った。なにも聞こえないから大丈夫と安心した。「動いている」と子供たちの声が聞こえたから。休みの日に夫はいつも水を変える。30分後に降りて水槽を見た。だれも気付かなかったが生きているように死んでいた。丸い、太っている身体がポンプの泡に乗っていた。死ぬと軽くなるのだ。太りすぎてすごく重かっただろうが、命が亡くなると泡に浮くぐらい軽い。でも泳いでいるようにも見えるから、本当にわからないぐらい静かな死だった。私が言うしかない。長女は大泣きした。家族のメンバーがなくなるのと同じ気持ち。夫は手に取って確認した。夫の手の平と同じぐらい大きく見えた。「こんなに丸いのだ」と一言いう。皆が悲しい。先ほどまで一緒にいた命はどこ行ってしまったのか、明らかに命があった時とない時とは違っていた。お魚には瞼がないから本当にはわからないが、なんとなく目が違うのだ。

その時長女が泣きながら言った一言が感動的だった。「リボンちゃんは可哀そうだ、初めて死んだ」。五歳の子供が生き物の死と向き合う姿勢はこんなに素晴らしい。生き物はいつか死ぬが、そのとおり「初めて死ぬ」のだ。何回も死ぬことはできないのだ。もしも二回目があったなら、一回目の経験を活かすことができるのに。娘の声のニュアンスはそれを示していた。深いのだ。この死は初めてだったから次は大丈夫ということもあるが、「初めて」を最後まで残せるというのも生き物だからこそできること。この体験をとおして次にいくことができる。次があるということだ。長女の言葉は仙人のようだ。「可哀そう」というのは初めてなにかを体験することに対して、まだ分からないことがたくさんある段階にいるからで、これから少しずつわかるようになる。

夫が庭に埋めた。建国記念日がリボンちゃんの命日になった。そのあと海の方に出て魚屋でお刺身を買おうとした。海が荒れていたので、いいものはなかった。子供の時にたくさんの生き物の墓を作っていたことを思い出した。死んでいる生き物を見つけるたびに、家の裏に埋める。家の裏にカモミールのお花で飾た小さなお墓がいっぱいある日もあった。小さな枝で十字の形を作って、お葬式を考えながら一日中遊んでいた。子供のほうがよくわかっている。死には儀礼が必要なのだ。

村の子供たちとは、お葬式だけでなく結婚式や雨ごいもやっていた。結婚式では、花や家から盗みだした様々な布でお嫁さんとお婿さんの役の子供を飾り、行列の後ろには鍋と棒で音楽を作って近所を回る。音楽担当の子はなかなかセンスがよく、声と鍋の音でみんなはトランス状態になる感じだった。この音楽を作る兄弟は当時もう二十代だったはずで、障害を抱えていた。こういう想像の儀礼という遊びの時だけは、子供と一緒になって、差別もなく平等だった。普段は道端に一日中座って、道を歩いている人にあいさつするだけなので、男の子に怒鳴りつけられて、虐められることがあった。が、結婚式ごっこの時は、彼らは音楽担当の立場を得て、幸せそうな顔で歌を歌った。あのときの雰囲気はフェリーニの映画のシーンのようだった。

雨ごいの儀礼は暑い夏の日の遊びだ。これは女の子だけで行う儀礼ごっこ。見たことはないが、皆で考えて、泥で人形を作り、人形と自分たちの頭に花を飾り、地面を強く叩くステップを踏み、乾いた埃を飛ばして長く踊り続ける。すると一時間後に必ず嵐のような雨が降り始めた。笑いながら家に戻って、雨が上がるとまた外に出て、村中にできた水溜まりを裸足で歩いて、泥水を楽しんた。たまにだれかが瓶の欠片を足で踏んでケガをするが、その血も必要な犠牲だといって遊びをやめる。

リボンちゃんが「初めて死んだ」次の日、水槽があったところがあまりにも空っぽで寂しそうだったから花を活けてみた。リボンちゃんと同じ、鮮やかな花を買った。紫とピンクのスイートピーとピンクのチューリップ。写真も飾ろうと思う。死んだ時に「提灯みたいだった」と夫が言った。何日か後、友達と弘前公園の雪祭りを見た。雪のなかで光るロウソクを見て、頭の中で「これはリボンちゃんの葬式だ、こんなに人が集まっている」と感じた。命を失ったものはこういう綺麗な葬式をやればいい。金魚ねぷたがたくさん飾ってあるところに来て、娘に「見てごらん、リボンちゃんは金魚ねぷたになって光っているよ」と言ったら、嬉しくてたまらないという表情をした。「リボンちゃんは綺麗だ」と娘が言い、一緒に写真を撮った。初めて死んだリボンちゃんは、なかなかのパフォーマンスを見せてくれたようで、初めてだと思わないぐらいだった。

死はいつか皆に初めてやってくるが、深く考えると自分の中でなかなか納得できない部分がある。私の場合は初めてではなく三回目ぐらいになるのかと思う時がある。私は三人分の命を背負っている気がするから。ルーマニアの暗い歴史、チャウシェスク政権下でたくさんの中絶が行われた。あの時の雰囲気をよく表す『4か月、3週間と2日』というクリスティアン・ムンジウ監督の映画がある。カンヌ国際映画祭でパルム・ドール賞を取った映画だが、違法中絶の話が中心になっている。妊娠4か月、3週間と2日の時だ。ルーマニアではよくあった話で、私の母もそうだった。しかも二回も。当時の女性の選択肢や経済状況など様々な理由があったのだろうが、はじめて父からそれを聞かされた時、倒れそうになった。「あなたと弟を育てるために、しかたなかった、皆やっていたから恐ろしい」。うん、社会主義が恐ろしい。私と弟が大きくなるために犠牲になった命があったなんて。お母さんはそれについて喋らない。自分が弱かった、自でそれを許したことにたいして聞けない。「二人とも男の子だった」と父に泣きながら言われた。「性別が分かるまで大きかった、私が育つため、私だったかもしれない、私の代わりにどうぞ、今どこにいる、いつももっと兄弟ほしかったのに、ひどい、私が代わりになっていい」との思いが頭に浮かぶけれど、知りたくない事実にたいしてなにも言い返せない状態だった。当時の社会の圧迫感を感じる。これは消せないものだ。私の身体に二人の命を誘いたいぐらい、私の身体を借りていいから。お葬式もなかっただろうが、リボンちゃんみたいな金魚ねぷたにもなれない。

娘は三歳のとき「ママを選んだ」と言ってくれた。「大きなスクリーンショットでみた。美人で、踊っていた」と突然言われた。スクリーンで見るのか。娘に選ばれたのか。五味太郎の絵本『ウサギはやっぱり』の「ピンクうさぎがでました」と読むと「ママだ」という娘たち。「いつも踊っているから」ママに似ているという。ピンクうさぎでよかった、私。でも、自分の中には、あと二人分のうさぎがいるはず。二人の分の人生も生きることにした。なに色だったのかな。「オレンジうさぎ」と「むらさきうさぎ」と「みどりうさぎ」が絵本ではピンクうさぎの次だからきっとこんな感じだったに違いない。弟はオレンジうさぎにそっくりだ。むらさきうさぎとみどりうさぎに会いたかった。