僕は珈琲

篠原恒木

この二か月は忙しかった。
片岡義男さんの書き下ろしエッセイ集を編集していたのだ。
『僕は珈琲』というタイトルで1月24日に刊行される。寿ぎだ。
とはいえ、おれは編集者ではない。
かつては若い女性向けの雑誌の編集長のようなものを長く務めていたこともあったが、ここ数年は出版社のなかの宣伝部という部署に所属し、一昨年の八月に定年を迎えた。人生を成り行きに任せているおれは雇用延長制度に従い、おめおめと、と言うべきか、ぬけぬけと、と言うべきか、ともあれカイシャに居残っている身になったわけである。

雇用延長者としての姿勢としては、目立たぬように、はしゃがぬように、似合わぬことには無理をせず、妬まぬように、焦らぬように、と、まるで河島英五さんの歌のように日々を過ごすのが正解らしい。
だが、とにかく何かをこしらえていないと気が済まないおれは、
「編集部にも所属しておらず、おまけに雇用延長の身でもあるのだが、本を作らせてくれ」
と、しつこく訴えたら、その願いが叶った。おれがいいヒトだからなのか、あるいは、いいカイシャだからなのか、おそらくは後者であろう。

遠い昔、仕事を完全に干されていたとき、ひとりでムックを作っていたこともあったが、あれは重労働だった。仕事場としてあてがわれたのは、鰻の寝床のような部屋だった。広さとしては四畳半もなかったのではないだろうか。コピー機と机を置くと、それだけで部屋は隙間がなくなった。その部屋は、はるか昔に電話交換手さんが詰めていたところらしいということを後になって知らされた。まだカイシャの「大代表」という電話番号にみんなが電話をかけていたときのハナシである。ムキになったおれは、ひとりで企画書を書いて、分厚いムックの誌面見本を作ってカイシャに提出した。不思議なことに、その企画はすんなりと通ったのだが、ファッション・ムックをひとりで作るのはやはり無理があった。徹夜続きの日々が続き、数冊作ったところでカラダが悲鳴を上げてしまったのだ。だが、本当に楽しいシゴトは、ヒトの意見を一切聞かずに最初から最後までひとりで作ったものだよなぁ、とおれは思っている。

片岡義男さんから、
「珈琲のエッセイをもう一度書こうか」
と言われたのは、いまから二年前のことだった。激しく同意したが、連載媒体を持っていないおれは、書き下ろしをお願いし、催促なしの原稿はポツリ、ポツリと届いていた。一週間に一本のペースで届いていたかと思うと、数か月で一枚も来ないときもあったが、届いたエッセイの内容にぴったりの写真を探しては、パソコンのフォルダに入れておくことも怠らなかった。届いた原稿には、片岡さんのシビれるようなフレーズが溢れていた。

「遠く離れたところにぽつんとひとりでいるのが僕だ、と長いあいだ、僕は思ってきた。そのように自分を保ってきた、という自負は充分にあった」

凄い文章だ。おれはと言えば、遠く離れたところにぽつんとひとりでいる自覚はあるのだが、そのような状況に好き好んで自分を置いたわけではない。気がついたら、オノレの性格、言動、立ち振る舞いのせいでそうなってしまっただけの話である。片岡さんとは大違いだ。おれは深く溜息をついた。
そして二年の月日が流れ去り、街でベージュのコートを見かけると、指にルビーのリングを探すのさという、まるで寺尾聰さんの歌のように過ごしているうちに、フト気がつくと、季節は二〇二二年の夏を過ぎていた。そのあいだもコロナは猛威を振るっていたが、おれは片岡さんとソーシャルな打ち合わせをひっそりと重ねていた。打ち合わせと言えば聞こえはいいが、めしを食べてはマスクをして、よしなしごとを話していただけなのですが。

「珈琲のエッセイであれば、寒い時期に出版したいよな」
と思っていたおれは、四六判サイズの紙を作り、いままでに届いていた片岡さんの原稿をプリント・アウトして、それを鋏でジョキジョキと切って、糊で四六判サイズの紙にペタペタと貼っていった。おれはインデザインやイラストレーターなどのソフトをまったく使えない。したがって、いまおれの手元にある原稿を本にした場合、どのくらいのページ数になるのかを知るには、切り貼りでカンプを作るしかないのだ。もはや絶滅危惧種のアナログおじいさんである。

だが、片岡義男さんもおれに負けずとも劣らないアナログ人間だ。原稿は富士通ワード・プロセッサー「オアシス」で書き、それをフロッピー・ディスクに読み込ませ、さらにそれをパソコンの外付けフロッピー・ディスク・ドライヴへ移し、テキスト・メモで電子メールに添付して送られてくる。なんだか非常に面倒な工程ではないか。
「パソコンのワード原稿で書けばいいじゃないですか。親指シフトのパソコンをお持ちですよね?」
「持ってはいるけど、使っていないんだ」
「カタオカさんから原稿のメールが送られてくると不気味なんですよ。件名も本文も何も書いていなくて、テキスト・メモが貼られているだけですから」
「そうかな」
「そうですよ。件名は『原稿を送ります』と書いて、本文には『拝啓 時下ますますご清祥のこととお喜び申し上げます。さてこの度、新しい原稿が出来上がりましたので添付させていただきます。まだまだ猛暑が続くようですが、どうかお体ご自愛くださいませ。敬具』とでも、たまには書いたらいいじゃないですか」
「いや、そういうことを書くとしたら、どうせなら冒頭分は『ひと言、私からご挨拶を申し述べます。顧みすれば、あの戦後の焼け跡から』から始めたいね」
「それはとてつもなく長くなりそうですね。やっぱりいまのままで結構です」

本の装幀案は全部で二十種類以上作った。例によってすべて鉛筆、サインペン、カラー・マーカー、色鉛筆、鋏、カッター、糊でダミー版を一枚一枚作っていった。敬愛してやまない平野甲賀さんの題字を使わせていただけることになったので、おれはひそかに興奮していたのだ。「これだ!」というデザインが二十三案めくらいで固まった。

その一方で、片岡さんの原稿をワード形式に直してプリント・アウトしたものと、本文内に挟み込む写真をジョキジョキ、ペタペタする作業を延々と続けていたら、あとエッセイおよそ四本ぶんで二百七十二ページの本が完成することが明らかになった。これはいよいよ大詰めではないか。そのことを片岡さんに話し、秋もしくは冬には本にしたいのですと伝えると、
「わかりました。残り四本、書きます」
という心強い返事だった。おれはエッセイの順番をあれこれと考え、本文中のどこに写真を入れるかを何度も何度もやり直した。切り貼り作業は難航を極めた。
「インデザインが使えれば、いちいち切り直しや貼り直しをしなくても済むのだろうなぁ」
そう思うおれの指は糊でベトベトになり、石鹸でいくら洗っても取れなくなっていた。ようやく何度目かの試作を作り直したときに、
「この順番でいいかもしれない。あとは残りの原稿を待つだけだ。原稿が届いたら、写真とワード・データと一緒に、ジョキジョキ、ペタペタした分厚い紙の束を組見本として印刷所に渡せばいい」
と、おれは思った。ところがなかなか片岡さんからの原稿は来なかった。ようやく残り四本のうち三本が届いた。入稿の締め切り日が迫っていた。三本の原稿を素早くワードに直し、文字組を整え、本文部分の組見本を手作りした。もうあまり猶予がない。エッセイあと一本を残して、おれは印刷所にすべてを入稿した。残りの一本は原稿が届いたら電光石火で後送すればいい。だが、その「最後の一本」が来ない。後送部分の入稿締め切り日に、電話が鳴った。
「こんちはー、片岡です」
「もう秋の気配ですよ。締め切りは今日。お電話しようと思っていたところでした。待ったなしです。あと一本、早く書いてください」
「それがマズイことになったんです」
「どうされたのですか」
「書いた原稿がフロッピー・ディスクに入っていないのです。確かに移せたと思ったのですが、フロッピーがカラなのです」
「ワープロに保存していないのですか」
「僕は原稿をフロッピーに移したら、すべてその場で消してしまうんです。だからワープロには残っていません」
「消えた原稿はどのくらいの文字数ですか」
「三千文字くらいかなぁ」
「マジすか」
「マジだよ。どうしよう」
「印刷所には今日中に後送すると言ってあるのですが」
「困ったなぁ」
そこでおれは咄嗟に言ってしまった。
「では、おれがあくまで仮に三千字を埋めておきます。それで印刷所にはいったん入稿して、初校ゲラが出たときに片岡さんがその部分を赤で書き直してください」
「申し訳ありません」

片岡さんの口から「申し訳ありません」という言葉を聞いたのはこれが初めてだった。考えてみれば、申し訳ないようなことをされた覚えがただの一回もないのだから当然のことなのだが、そのひと言がおれをかなり動揺させた。片岡さんに「申し訳ありません」と言わせてしまったことが、とてつもなく申し訳ないことのように感じたのだ。

そしておれは片岡義男になりきって、三千字の原稿を書き、締め切りギリギリに印刷所へ放り込んだ。三千字は一本のエッセイのなかでちょうど中間部分にあたる部分だった。
「おれはいま片岡義男なのだ。片岡さんならこういうことを書くに違いない。『全体』は『ぜんたい』とひらかなくてはいけない。『なんなのか』ではなく『なになのか』でなくてはいけない」
と、自分に言い聞かせながらパソコンのキーを叩いていった。
やがて初校ゲラがめでたく出てきた。さあ、片岡さんはゲラでその三千字の部分をどう処理したのか。跡形もなく差し替えたのか、大幅に赤を入れたのか、それとも……。スリルとサスペンスに満ちた入稿、校了作業であったことは間違いない。

いやいや、おれの駄文がそのまま片岡義男さんの本に反映されるわけがないので、どうかご安心を。大切なことなので、最後に二回言います。

片岡義男の書き下ろしエッセイ『僕は珈琲』は1月24日発売です。
珈琲にまつわる短編小説も特別収録されています。カラー写真も満載です。

あのベストセラー『珈琲が呼ぶ』から五年、
1月24日に、片岡義男の傑作書き下ろしエッセイ『僕は珈琲』が刊行されます。
珈琲にまつわる短編小説も特別収録。カラー写真も満載です。

そして、アンコールに応えて、片岡さんの名言を添えよう。
「一月一日は十二月三十一日の翌日に過ぎない。年が改まることには何の意味もないよ。だから忘年会などという行事もあり得ない。今年一年を忘れる、チャラにすることなんて出来っこないんだ。新年会も同じだよ。今年こそは、という言葉はいまでも通用しているのかな」
それに対するおれの言葉も添えておこう。
「じゃあ、片岡さんはお餅も食べないのですか?」
「餅は好きだよ。うまいよ、あれは」