その⾔葉はまだこの地上にあって

越川道夫

春になった。
春の花は⾜早だと思う。咲いたと思うとちょっと⽬を離した隙に終わってしまう。仕事場へ向かう⼆駅ばかりの道のりを歩くだけでも、上を向いたり下を⾒たり忙しい。地表の近くにオオイヌノフグリが咲き、⼟筆が顔を出したかと思うと、その後からナズナやカラスノエンドウがぐんぐんと伸びていき、上から草たちを覆い隠していく。

オオイヌノフグリが⼩さな花を咲かせはじめた頃、4年前に93歳で亡くなった鈴⽊清順監督のことがしきりに思い出された。晩年の数年間お仕事でご⼀緒し、その仕事が終わった後、当時お⼀⼈暮らしだった監督のお宅によく遊びに⾏かせてもらった。何も持って来なくていいからな、なんでもあるんだから、と清順さんは仰るのだが、私は、おはぎやら⾖⼤福やらを持っていく。持っていくのだけれど、お宅に着くといつもテーブルの上には、朝スーパーで買ってきたと思われる寿司やら菓⼦やらが積み上げられているのだった。

世もすがら花か団⼦か愚宇猪⽛叭亜
猪突々々にあきたいのしゝ

亥年⽣まれの清順さんからいただいた寒中⾒舞いに書き添えられていた歌である。
公団の監督の部屋には雀が⼊ってくる。雀がお好きなのだ。清順さんが窓際の床に雀たちのために⽶を撒く。それを啄むために雀たちがやってくる。そうするとその⽶粒を狙って鳩がやってきて雀たちを追い払う。それを⾒た清順さんが⾆打ちをして鳩を追い払う。やがて、また雀が来る。また鳩が雀を追い払う。その鳩を清順さんが追い払う。その繰り返しを私は眺めている。
寿司や菓⼦をつまみながら清順さんから様々な話を伺い、コシカワくんは学がないねえ、と叱られ、最後は⼀緒に清順さんが監督をする前提のプロットを書かせていただいた。

「監督の脚本の書き⽅って、まずアッと思わせる仕掛場⾯を3つ設定するんですよね」
「そうだねえ、3ついるねえ」
「主役の動きを追って筋⽴てはない」
「そう」
「登場⼈物の性格や話の筋は後回しで、まず3つスペクタクルを決める」
「そうそう」
「3つ決めたら、その3つを⼿放さないようにしてつなげて⼀つの話にする」
「じゃ、まず3つ決めようか」

それから、私たちはああでもないこうでもないと離しながら3つのアッと思わせる仕掛場⾯を決めたのである。

「…あとは⾒せ場と⾒せ場をつなぐ筋⽴てと登場⼈物の設定で、多少の話のつじつまは合わなくても⾒せ場が⾯⽩く固唾を呑むよう筋を持ってゆけばいゝ訳です。こゝいらが⼩説や詩、思想哲学と違う映画の醍醐味で、つじつまの合わぬところを素知らぬ顔で⾒せてしまうのが、私たち職⼈芸のたる所以です。」

⾃分だけが特別であったという思い上がりはないが、役得と⾔えるような何かではあったと思う。思いがけず⽼魔法使いに弟⼦⼊りをしてしまったような、それでいて思い出されるのはいつも⼩春⽇和のようなどこか間の抜けた⻑閑な部屋の光景である。清順さんはこの企画が気に⼊ってくれたらしく、脚本にもし、亡くなるまで何とか映画にと動いてくださったようだが、ついに映画にはならなかった。最後にお電話をした時、電話の応対をしてくださった奥様の声の向こうから肺疾患であった監督のなんとも苦しそうな咳込む声が聞こえてきて、代わってもらうこともせず、特に⽤事ではないのだからと早々に電話を切ってしまった。程なくして、流れてきたニュースで私は清順さんが亡くなったのを知ることになった。「いつかこの⽇が来るとは思っていたが寂しい」、清順さんが亡くなってすぐにメールをくれたのは名古屋の映画館の⽀配⼈だった平野さんだった。その時、私は電⾞を待つホームで泣いていたのだった。平野さんも2年前に癌で亡くなり、もういない。

⾟夷が咲き、⽩⽊蓮が咲き、その花弁を開けるだけ開ききって、そしてあっという間に散っていった。⾵は強いが暖かな⽇が続くと桜の蕾が綻び始め、いよいよ満開かと思う頃に、装丁家の平野甲賀さんの訃報が、やはりニュースで流れてきた。私は平野さんの仕事の⼀⽅的なファンであってほとんど接点はない。ただ若い頃からずっと平野さんの仕事を追いかけ、特に映画の宣伝配給を⽣業にしていた頃には、仕事に⾏き詰まると必ず読み返していたのは、『平野甲賀〔装丁〕術・好きな本のかたち』(晶⽂社刊)ともう⼀冊は菊地信義さんの『装幀談義』(筑摩書房刊)の2冊であった。他の映画宣伝を⾒て⾃分の映画宣伝の仕事のことを考えない、と決めていた私にとって、この2冊が指針であったことは間違いない。映画の宣伝配給という作品と観客の間を繋ぐ仕事をしていた私は、⾃分の仕事を装幀家の仕事に重ね合わせ、平野甲賀、菊地信義という⼀⾒対極に⾒える⼆⼈の仕事の間で⾃分の仕事について考えようとしていたのだと思う。だからずっと平野さんの仕事は、私の側にあったわけである。
平野さんの訃報を聞き、夜中に『平野甲賀〔装丁〕術・好きな本のかたち』を読み始めた。何度も読んだ本なのに、まるで初めて読む本のように平野さんの⾔葉が⾝体の中に⼊ってくる。「攻撃的に」「マンガ的に」。私はこの本をまったく読めていなかったのではないだろうか、と思いの中で⼀気に読み終えてしまった。どこに書かれていたのかを忘れてしまったが⻑⾕川四郎さんは「仕事をしよう」というのが⼝癖だった、と読んだことがある。平野さんの⾝体は失われてしまったが、その⾔葉はまだこの地上にあって「仕事をしよう」と私の背中を押すのだった。

瀑布のように咲き乱れた桜は、⼆三⽇で散り始め、花筏がコンクリートに固められた川を下っていく。路肩や樹の根元に咲いた菫は、何度も⾬に降られ、泥まみれになりながらまだ咲いている。