ある図書館主催の製本講座の一つで、フランス装をやることになった。無地の紙を糸で綴じて、その判型の横二倍強の大きさの紙の四方を折って表紙として被せるが、基本は基本として、折形デザイン研究所の『折る、贈る』や立川直樹さんと森永博志さんの『続シャングリラの予言』、國峰照子さんの詩集『4×4=16 月の故買屋』などのように従来の折り方とは別の方法でデザインを楽しんだり、背を貼るか貼らないか、折り曲げた表紙に本文紙を差し込むか差し込まないか、それぞれやってもらおうという趣向だ。会の案内をするにあたって、困ったことがおきた。「フランス装」という言い方のことだ。どうも以前からこの「フランス」の使い方がしっくりこなくて、あまり口にしたくなかったのだ。
いわゆる「フランス装」の一番の特徴は表紙となる紙の折り方にある。説明すれば、大きめの紙の四つ角をまず斜めに折り、背に当たる部分に切れ込みを入れ、紙の四方を折り曲げて中身に被せる。和綴じの表紙がけにも同じ方法があるが、こちらは折り返しが10ミリ程度で短く、また中身と部分的に貼り合わせるので表に見えない。「フランス装」は一冊ずつ手作業で仕上げていたが、これを機械化したのが1998年にスタートした「新潮クレスト・ブックス」シリーズだ。同社はこの製本について「従来は手作業のため高コストだった仮フランス装の機械化を、独自に開発してもら」ったと説明している。折り曲げた表紙紙は全て接着してあり、中身とは背の部分のみ貼り合わせてある。クレスト・ブックスの装丁は私も好きで、カバーをはずして棚に入れてある。はずしたカバーは、逆向きに本文に被せてある。結構いるんじゃないか、こういうふうにしている人。
さて「フランス装」だ。この呼称を知ったときは、仕上げの断裁をせずに仮綴じしたままのフランスの本のほとんどがこのような表紙なのだと思った。だがまもなく、そういうものもあるがそうでないもののほうが多く、フランスに限ることでもないことがわかって、「フランスの本みたいな装丁」「フランスっぽい装丁」を日本でそう呼ぶようになったと思うようになった。それにしても、「フランス装」というと表紙の紙の折り方がキビシク限定されており、その一方で糊の入れ方だとか中身との合体の仕方だとかには無頓着であることもわかった。はたして正しい「フランス装」があるとは思えないが、クレスト・ブックスがわざわざ「仮」をつけて「仮フランス装」としたのは、折り返しを接着したあたりが「正フランス装」に反するとの見解だろうか。推測だけれど、納得はいく。
「製本之輯」(『書窓第十一巻第二號』アオイ書房 1941 上田徳三郎・口述、武井武雄・図解)を復刻したHONCOレアブックス3『製本』の洋本の部には、〈近頃は、仮綴などと言って、厚手の紙一枚を背に貼りつけ、周囲を折り込んで表紙とした軽装本が多くなった。折り込みの一例を図に示したが、これは別にきまった様式があるわけではない〉として、いわゆる「フランス装」の表紙の紙の折り方が示されている。「軽装本」という響きがいい。そこでこのたびの製本講座のタイトルに、「軽装本」はどうでしょう、と言ってみた。「いやー、形状がまったく想像できません」たしかに。「一枚の大きな紙を折って表紙にするから『紙折り表紙本』とか『折り紙表紙本』ってのはどう?」「いやー、折り紙を表紙にする豆本みたい」なるほど。「フランス装という言葉はやっぱり入れたほうがいいんじゃないでしょうか」「じゃあ......『フランス装的な製本』とか『フランス装みたいな製本』?」「長過ぎますよ〜」
思えば、「和綴じ」というのも曖昧な表現だ。製本に特に興味がなかったら、和綴じと言えば四つ目綴じ、バリエーションとして麻の葉綴じや亀甲綴じが思いつくくらいだろう。「和綴じ」の一種である胡蝶綴じされた本などは、和紙を使った洋装本と思うのではないか。それに、「和綴じ」と言っても日本独自の綴じ方ではない。そりゃそうでしょう、と思うでしょうが、ひととおり「和綴じ」を体験した人に唐突に中国の古い本を差し出してみてください。「中国でも和綴じをしていたんだ!」という反応がきっとあるから。「和綴じ」も「フランス装」も、あるくくりをイメージしやすい言葉として口にされてきたのであって、学問的な定義づけを必要とする呼称ではないだろう。ならば言い訳みたいに「フランス装的な」なんて言うのは、かっこ悪いのでやめようと今は思っている。
上述の上田徳三郎さんは製本の職人さんだから、作る上でのお手軽指向による軽装本ことフランス装には言葉厳しい。『書窓』の編集人でもあった恩地孝四郎(1891-1955)は「書籍の風俗」に、そこのところを戒めつつ、その軽やかさに美を極めてみたいと書いた。もしかして、と思って青空文庫を探したら、あった。ごく一部を以下に引用する。全文は青空文庫で。〈この仮装略装本を非常に愛着して、この方式の上にいい本を作りたいといつも願っているが、前述のような事情で失望しがちである。だがこの形式は将来十分発展性のあるものと考える。愛書家も徒に華装ばかりを尊重したがらずに、こうした所に平明直截な美を打ち立てることに留意してほしい〉