アジアのごはん(67)チベット仮面舞踊とシッキム漬物

森下ヒバリ

急な坂道をやっと登り切って、心臓をばくばくさせながら寺に着いた。かなりの人が集まってはいるものの、まだまだ観客席にはゆとりがあるのでほっとする。首尾よくベンチ席を確保して、儀式が始まるのを待つ。やがてぶおおおっとラッパが鳴ったと思ったら、中央広場に仮面をつけた道化たちが出てきて、狂言みたいなことをやり始めた。走り回ってずっこけたり、観客をからかったり。笑っているうちにまた、ぶおおおおっと何度もラッパが鳴って、本堂の入り口の垂れ幕が上げられた。そこから赤い帽子をかぶった僧たちが手に手に銅鑼や鐘、太鼓をもって音を出しつつ、ゆっくりと舞いながら本堂前の広場に降りてくる。

チャム舞踊がいよいよ始まった。ここはインド北東部のシッキム自治州ペリンにあるチベット仏教ニンマ派のペマヤンツェ寺院である。ついにチベット正月にこの寺で行われる仮面舞踊チャムを見ることが出来る。実は、この寺に来るのは二度目である。7年前ふとシッキムに行ってみたくなり友人たちを誘ってインドに来た。コルカタ、ブータン国境の街、カリンポンを回って、このペリンにたどり着いたところ、その日がチベット暦でおおみそかと教えられた。何か行事があるかもしれないというのでこの寺を訪ねてみると、大勢の車や人が帰っていくところだった。

入り口にいた寺男の爺さんが「エブリシング、フィニッシュ!!」と笑いながら迎えてくれた。寺の見学はして行ってもいいというので、本堂の中に入ると、いま脱ぎ捨てられたばかりのきらびやかな錦の衣装がひもに何枚もかけられ、色鮮やかな仮面が床に並べられていた。本堂前の広場ではなにか大きな布状のものを数人がかりで巻いている。
「あ、もしかしてチャム舞踊があったのか!」「あれは大タンカ(曼荼羅図)御開帳の後片付けか!」ああ、なんという間の悪さ。以前から興味のあったチャム舞踊などのチベット仏教の行事がすべて終了した時にたどり着くとは‥。

そのうえ、ペリンの宿には一切暖房がなく寒くて寒くてたまらない。ヒマラヤが見えると聞いて出かけて来たのに、山は遠くかすんで気配のみ。宿のスタッフは態度が悪く、ペリンの記憶は最低であった。ペリンに来ることは二度とないだろうと思った。

その後、ダージリンは何度も訪れたが、なかなかチベット正月には合わない。2年前にもシッキムの州都ガントクの近くにあるルムテク寺院でチャム舞踊を見ようとしたのだが、ルムテク寺院のHPにチベット正月の1日目から3日目にチャム舞踊があると書いてあったので、正月当日にガントクに行ったら、すべて終わったとまた言われてしまった。どうやら1日目から3日目という表現は、チベット正月の3日前から大晦日をさすらしい。しかもチベット正月は中国正月とは同じようで同じでなく、ずれることも多い。なかなか事前に日にちが分かりにくいので、計画が立て難いのである。

しかし、今年急きょまたダージリンに行くことになって、1月末にタイについてからインドに旅立つ直前に「そうだ、いちおうチベット正月はいつか調べておくか」とあまり期待せずにネットで探すと2月19日だと分かった。コルカタで落ち合ってその後ダージリンに一緒に行く京都の女性2人がコルカタに来るのが14日。彼女たちの旅程は10日間あるのでダージリンだけでなく「コルカタもおもしろそう」「シャンティニケタンにも行ってみたい」などと聞いてはいたが、ここはシッキムに行くしかないでしょう。

いやだと言ったらおいて行ってしまおうかな。「チベット寺院の仮面舞踊を観ることが出来るかもしれないので、ダージリンに行く前にその先のシッキムに行きませんか」と打診すると「うわ〜行きたい!」と響くような返事。2人とも仏教を学んでいるので、ちょうどよかった。

正月の2日前と大晦日との2日間チャムが行われる。赤い帽子の僧の舞いの次には、色とりどりの錦の衣装をまとい、伝説の動物スノーライオンや聖山カンチェンジェンガの山奥に住む神の使い鹿、ガルーダ神、やチベット仏教の神様マハーカーラなどの仮面をつけた僧たちが現れ、輪になって舞っていく。

ゆっくりとした音楽とくるくる回る舞い。舞うことでその場が浄化されていく、清められていくのを感じる。ヒバリの生まれは岡山の備中で備中神楽の盛んな地域だったので子供の頃から神楽には親しんでいるのだが、この緩急のテンポ、舞い、道化が入る部分、剣舞、退場の仕方など神楽にとても近しいものを感じる。

備中神楽はそのほかの出雲系の神楽同様、おそらく大和系の征服者の都合の良いように直されたストーリー展開だが、このチャムにはあまりストーリーはなく、繰り返される音楽と舞いによって演者に神を降ろすことに重きがあるようだ。

大晦日に仲良くなった、チャム舞踊に魅せられて7年もシッキムに住んでいるというウクライナ出身の映像作家アレクによると、一般に言われるような悪魔祓いとかの単純な儀式ではなく、チャムは神を招いてすべての命あるものの罪と厄災を払い、幸せを祈る奥深いものだという。演者の僧たちは2週間前から瞑想に入り、準備をするという。

演目の間には走り回ってお客さんを笑わせたり、緊張感のある舞いが行われている横でおどけてみたり、舞いに使う小物を配ったりと活躍する数人の道化たちの存在も興味深い。観客も真面目に見たり、笑ったり、おやつを食べたりと終始リラックス。道化たちの存在は、アレクによると世界の二面性を表現しているとか。なるほど。

日が陰ると客席は冷えてくるなあ、と思っていたら喜捨であろう無料のあったかいチャイが回ってきた。ああ、あったまるねえ。どぶろくも回ってきた。酔っ払いそう。朝10時ぐらいから始まって初日は夕方4時過ぎまでみっちりいろいろな踊りがあり、2日目の大晦日は途中で雨もあったが2時には終了した。天気があまりよくないので最後の大タンカの御開帳が中止されたのは残念だった。

そろそろ2日間のすべてが終りかけたころ、有力者らしいイケメンのチベット人男性が「奥の建物でランチがふるまわれているからどうぞ」と教えてくれた。最後の僧の舞いが終わってから、そこに行ってみると、おいしそうな匂いがする。他のチベット人たちにならい、自分で白いごはんをよそい、何種類かのおかずをごはんにかける。豆のダルスープ、じゃがいものカレー煮、キャベツ野菜カレー炒め。チベット料理というかネパール料理というか。家庭のごはんのようにやさしい味だ。辛かったけど。今回のインド旅行中もっともおいしいと思ったごはんであった。

「なんてすばらしい2日間」「最後にこんなおいしいごはんまでごちそうになって」わたしたちは全員、すばらしい舞踊を見せていただいた上に、お腹まで満たされてこの上なく幸せな気分になっていた。寺から歩いて2キロぐらいの道の途中で何度も踊りのステップを真似してくるくる回りながら帰った。

このチャム舞踊に関しては、大きな宣伝もなく、ペリンでもネパール系の住民やホテルはほとんど知らないなど、よほど求めて探すか、運がいいかしないと出会うことができない。チャムの1日目の朝にホテルの食堂で会った白人のおじさんも知らなかった。チャムがあると教えると、どこかに観光に行く予定だったのを変えて、寺に4人で現れた。2日目の朝に食堂で会った日本人の男の人も知らず、その日山が見えなかったので別の街に移動しようとしていたのを、チャムの話をすると一緒に行った。少し見たら帰ると言っていたが、結局最後まで堪能していた。その5人はわたしたちと食堂で会って話をしなければ、ペリンにいるというのにチャムが行われていることも知らずに、観ることもなかったわけである。少しは善行積んだかもしれないな。

まだ本格的な暑さの季節にはなっていないはずのタイのバンコクでこれを書いているが、今日は35度もあった。2500メートルの高度のペリンの寒さが嘘のようである。ペリンの宿は前回とは変えて、ガルーダホテルというチベット系のホテルにしたところ、大正解ですばらしく快適だったが、やはり暖房はなく芯から凍えた。それでも新年のお祝いの儀式をしてもらったり、早朝の窓から見えたヒマラヤの山々の大パノラマは心震える美しさで、かつてのペリンのイメージを一新することができた。ここの食堂で食べたシッキムの無塩乳酸発酵の漬物グンドラックのスープについて書こうと思ったが、続きはまた来月。