島便り(10)

平野公子

小豆島移住からほぼ1年が経ちました。あれこれ見聞きしたことをとりとめなく掲載させていただいています。コレいったい読んでくださる人がいるのでしょうか? 読み返してみますと、自覚していたとはいえあまりにも散漫です。あいすみません。

一年かけて島で私がやりたい、やれそう、やらねばの意地で、ほぼふたつの方向に活動を集約してきましたので、
今後はそのうちのひとつ「小豆島ミュージアムを作ろう!」を水牛に報告していきます。

ちなみにもうひとつは「小豆島に馬の牧場を作ろう!」です。こちらはまだまだ霞のなかですが数人で勉強会からスタートしました。こちらの記録は「屋上」ウエブマガジンでそのうち連載はじめます。

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12月の水牛「島便り8」に記した、島に残された絵をめぐって、ダンボールの中にあったもの全て広げて見せていただいた。その日から、あのまましまわれていたら気の毒な絵をどうしたらいい形で常設できるかを考え出してしまった。

絵は昭和の始め頃から1970年代までの90点ほど。色紙や画帳もあるし額装入りもある。いわゆる美術館にかかっているような大掛かりな絵はひとつもな
い。だが、なんだか惹かれるタッチの絵なのだ。風景画(当時はめずらしかったであろうオリーブの絵が多い)、人物画(定宿のおかみさんやおやじさん、それ
に同宿の絵仲間たち)。とくに人物画は生き生きとした巧さに唸った(調べてわかったが、宮本三郎の絵であった)。

島にはギャラリーは2、3あるが、美術館はない。絵を見てから3日後に、いつも私の動きをフォローしていただいている町役場の方にメールを出した。必ず町長にも、担当部所にも伝わることになっているらしい。

  「陽光に惹かれて小豆島を描いた画家たち」展示の提案

町の財産である画家たちが残した絵を常設できる場をつくれないか考えています。

1930年代から香川出身の猪熊弦一郎(1902―93)が始まりの気がするが、おおくの画家、画学生が小豆島に滞在、海岸やオリーブの樹や海と朝日夕日
を描いている。猪熊弦一郎と友人であった小磯良平もそのひとりであった。糸口の資料によるとその数40数名。主に東京美術学校(現東京芸術大学)の出身画
家、学生のほかにも香川や関西の画家たちの名が見える。画家のなかには小磯良平、古谷新をはじめ島にアトリエを建てた人まで数人いる。また、彼らの絵には
島の陽光に惹かれている様子、当時はめずらしいオリーブの樹、あきらかにヨーロッパへの憧れがにじみ出ている。たしかにこのあと画家たちが必ずヨーロッパ
へ留学していることからもそれがわかる。
著名な画家たちの若き時代の絵はそれぞれ貴重なもので、1枚ずつ調査あとづけをして、ストーリーをつくり、額装を直し、ないものは新しく作り、人の目に触れられるように仕立てる。小冊子も作れそう。
また同時代に湾を挟んだ坂手地区に文学者黒島伝治、壷井栄がいたことは重要なことで、俯瞰で島をとらえる必要性がありそうです。いま、黒島伝治の朗読会を
小規模で始めていますが、これもいずれ集約していくつもりです。また、島には貴重な古文書や民具ものこされていると聞いています。これらを同時にみること
ができるスペースがあったらいいと想像すると島の真ん中の海辺にできたら素晴らしいのではないでしょうか。島民にも島外のひとたちにもゆっくり過ごせるス
ペース、どこかに新しくハコをつくるのではなく、空き物件の再利用で小さなミュージアムを計画していきたいと、提案させていただきます。

10日後にさっそく関係者のミーテイングが開かれた。