革靴を踏む。

植松眞人

 地下鉄に乗り込むと座席が空いている。人と人との間にできたすき間には絶対に座らないのだが、通勤ラッシュがもうすぐ終わるという時間にしては珍しく、あちらこちらに空席があった。しかも、目の前は三人分の空きがあり、座らないほうが不自然な様子だった。
 なにやら落ち着かない心持ちで一番端の席に腰を下ろすと、それが合図だったかのように、次々と人が乗り込んできて、あっと言う間にさっきまであった空席がすべて埋まってしまった。ときどきこんなことが起こる。いつもと違うことをすると、いつもとちょっと違うことが起こってしまう。そんな気持ちになりながら、私は地下鉄の車内を見渡していた。
 見渡していたと言っても、あからさまに人の顔をじっと見たりはしない。腰から下の辺りをぼんやりと眺めるのが好きだ。腰から下の衣服に覆われている部分を眺めているだけでも、年齢や職業や時には健康状態までわかったりする。
 いつの間にか、座っている私の前には女子高生が立ち、中年の会社員らしい男が立っている。二人の足元を見るとはなしに見ていると、違和感が通り過ぎた。少し、くたびれてはいるけれど、きちんと選択されプレスされたズボンをはいた初老の男性だったと思う。女子高生と会社員の下半身の間を通り過ぎただけなので、確信は持てないのだがおそらく間違いはないだろう。
 違和感の出所を探ろうと、行く先を目で追うのだが、人と人のすき間から見えるのはかろうじて上半身ばかりで、さっき見た下半身がこのなかの誰かのものなのかがわからない。
 なんにしても、いま上半身が見えている地下鉄の客に違和感はない。それぞれに個性はあるのだろうが、いまここにいることへの違和感はない。それなら、さっきの違和感は何だったのだろう。
 地下鉄はいくつかの駅に止まり、何人もの乗客を降ろしたり乗せたりしている。目の前の人たちも右に揺れ左に揺れながら、入れ替わっていくのだが、まだ、さっき違和感をもった男は降りてはない、はずだ。
 地下鉄が少し深く揺れて、次の駅に停車した。あまり人の乗り降りの多くない駅だ。何人かの乗客は降りたが、その何人かのなかに私が探していた男がいた。普通のタイミングでドアからホームへ降り、ごく普通にホームを歩いていく姿が見えた。それでも、他の乗客にはない違和感がその男にはあった。私はまるで外の景色を見たがる子どものように窓のほうに向き直って車両の中から男をじっと見ている。
 歩き方も腕の振り方も鞄の持ち方も普通だ。しかし、違和感の出所はすぐにわかった。その男は革靴のかかとを踏んでいたのだった。スリッパを履くように、革靴のかかとを踏んで履いていたのだった。
 なぜ、男は革靴のかかとを踏んでいるのだろう。いつ、どのタイミングで革靴のかかとを踏んでもいいと思ったのだろう。そして、何よりもたったそれだけのことで、この男は私かも知れないと思えるのはなぜだろう。
 特に疲れた顔も見せず、おそらく今日一日仕事をする職場へ向かう男の背中がエスカレーターへと向かって行く。濃い茶色をした革靴をスリッパのように履く男の白い靴下のかかとはすでに黒く汚れている。