夢のつづきのPreludio

笹久保伸

あっという間に2012年の8月も終った
8月はいつも何かある季節
今年もそうで
出会いもあれば 別れもある不思議な8月だった

8月5日は自分の新しいCDが発売になる予定の日だったが
その日は秩父で別のイベントがあり演奏していた
数日前にCDの発売は延期なる と知らされていたが
祖父の死がその日におとずれるとは誰からも知らされていなかった
CDのタイトルが「翼の種子」だけに 祖父は翼を持って旅にでたのか
種子へ回帰したのか とか独りで考えてしまったが それは偶然だ

「翼の種子」はポール・エリュアールの童話
私のCDのコンセプトとは直接関係がない
しかし CDのコンセプトやタイトルを考える時に
種子へ還るべきか 種子から育つのか どちらだ
と考えた時に 今は まだ種子へ還れない と漠然と思った
外へ向かいながらルーツへも還れ とペルーのManuelcha Pradoに言われた事がある

結局CDは8月12日に発売になった
ジョン・ケージと中上健次の命日だったらしい と後で知ったが
CDに入れた「空飛ぶ法王」という曲を作るアイデアとなった句集を書かれた
俳人の夏石番矢さんは 晩年の中上健次の友人だった
自分の意図しない事や直接自分には関係のない事が 
遠いところで繋がったりもするのかな
とも思ったが 偶然だ

自分は自分が作曲や演奏を続ける上で何かのエモーションがないと 
何も生み出せないのではないか と心配している
しかし仮にエモーションがあって何かを書いたりしても 
それで自分が何かを生み出した もしくは 生み出しているのだ
とも思えないが
とにかく今は エモーションや動機がないと 作る意欲がなくなってくる
でも それがないと作れない という事ではないし
理由があって何かを作るという事はほとんどない
何かのためになるわけでもないし 自分のためにもならないし
わけがわからなくなってくる

書ける事しか 書けないが そういう意味でも
8月はエモーションだらけの月で自分の気も狂いそうだった
いや ある意味 いつでもオカシイかもしれない

今年の8月は生まれて初めて 熱中症にもなった
お酒に弱くて 全然飲めないのだが
ある夜 ラム酒を6杯飲んで 水を飲むのを忘れたまま
なぜかエアコンのない部屋で寝てしまい
朝起きたら 暑くて暑くて めまいがして 立ち上がれなくて
喉や口がカラカラなのに 水を飲めない 飲むと気持ち悪い
そのまま病院へ行き 点滴4時間 病院で1日過ごし
地獄を見た
その後も不調で 夏バテのよう

他人や友人や見知らぬ人々が会話をしているのを聞く
ある瞬間に大勢の人々が それぞれ別々の会話をしているのを聞くと面白くて
話の内容にではなく その音響効果に感動する事がある
8月はそういう方法で小説も書いた

そんな2012年の8月は 夢のつづきのPreludioだった