掠れ書き19

高橋悠治

システムや方法論や構造主義を捨てて暗い時代と手にしたわずかな音で行く先の見えない音楽を書き続ける。全体の構図からではなく断片から断片へすこしずつ書き継いでいくと連続した流れがおもいがけないところで消えてまた他の場所に現れる。即興の速さや背後に蓄積された技術ではなくゆっくり一滴一滴と虚空に滴る中空の雫。

音楽ではなく絵でもなくことばで書かれた脳内風景の観察プロセスたとえばベケットとウィトゲンシュタインのパラグラフを辿り直して語り続ける声の変化を手のうごきに映す。うごく手は音の残像を後に曳きながら関係の網を織り次のうごきと音が揺りうごかし関係を組み換え対称性を破る。

本を読みメモを書きメモからノートに移しまたメモに書き加えノートからことばを削る。一つの声それを中断する第二の声それに応える最初の声と続く古代ギリシャ劇でstichomythia(隔行対話)と言われたかけあい技法。相手のことばを取り入れながら反論しそれぞれの言い分をくりかえしながら逸れていく。もどってはやりなおし言いまちがえる声とおなじことをおなじには言わないことばが重心を移しながら流れの速度を調節する。対話する二つの声を聞く第三の声があればプロットを複雑にしパターンの組合せが機械的な対照におちこむかわりに距離を変えながら浮遊して見過ごす眼と聞きとれないことばを追う耳が行き来する。空間が対話とその断片を包んであいまいにひろがる。

anaphora(首句反復)はおなじにはじまりちがう終りに行き着く枝の束。おなじ始まりを強調すればまとまりと構成の方へ、終りのちがいが際立てば止められない解体と分岐で言い直し言い損ないに近づく。

allusion(引喩)は昔あったなにかを思い出させるようなうごき。引用の重みはなく直接でもなくパロディーの悪意や意図はなくパスティッシュの軽みもなくはっきり見えない影がまとわりついている。