製本かい摘みましては(165)

四釜裕子

BBプラザ美術館で「ジャック・ケルアック『オン・ザ・ロード』とビート・ジェネレーション 書物からみるカウンターカルチャーの系譜」展(2021.7.3ー.8.8)が開かれている。ネットで見ると、超優秀なタイピストでもあったケルアックがロール状のトレーシングペーパーにひたすら打ち込んだという最初の”オン・ザ・ロード”こと「スクロール版 オン・ザ・ロード」も展示されているようだ。巻いたトレペといえども何箇所かはテープでつないでいるはずで、それがいったいどうなっているのかを見たいと思った。ところが実はインディアナ州から借りる予定であった実物がコロナの影響で運べなくなくなり、それで会期が1年以上伸びてしまって、それならばとレプリカを作って展示しているそうである。

岡村印刷工業のウェブサイトにそのことが少し出ていた。国宝や重要文化財のレプリカ製作にも実績がある、細かいインクを霧のように吹き付けるデジタル版画チームが担当したそうだ。全36メートルになる今回の複製には和紙を用いたという。紙の継ぎはでんぷんのりで、ずれぬよう、苦労したようだ。借りるはずだった実物よろしくアクリル棒を芯にして巻いて、ぴったりサイズのアシッドフリー段ボール製収納函を作って納品したとある。私が気になったのは、そもそものトレペをつないだテープがどんなものでそれが今どうなっているのかだったけれど、それに対する記述はなかった。すでに「実物」が裏打ちされているようでもあったので、オリジナルの継ぎ目もきれいに修復して保存しているのかもしれない。

観に行けないので、カタログの『オン・ザ・ロード:書物から見るカウンターカルチャーの系譜 ビート・ジェネレーション・ブック・カタログ』(監修:山路和広 執筆:マシュー・セアドー トゥーヴァージンズ)を買った。「ジャック・ケルアック「オン・ザ・ロード」/ジャック・ケルアックの著作~ドゥルーズ伝/ビート・ジェネレーション ブック・カタログ/シティライツブックスとリトルマガジン/ゲーリー・スナイダーと日本のビート・ジェネレーション」に章立てされ、およそ1200の書影がカラーで掲載されている。「ケルアックとビート・ジェネレーション/アメリカと世界/日本のビートとカウンターカルチャー」の3つを並べた年表などもある。

「gui」の同人でもあった飯田隆昭訳のバロウズやトム・ウルフなどの本もたくさん載っていて、バロウズ著・飯田訳『爆発した切符』はサンリオSF文庫の中でも「特に入手困難」と但し書きがしてあった。北園克衛の作品が表紙になった『The Black Mountain Review』(1954ー)、今年亡くなったファーリンゲティの詩を原文で載せた海人舎の『Trap』 9(1988  表紙:北園克衛)、ヤリタミサコさんの『ギンズバーグが教えてくれたこと 詩で政治を考える』(トランジスタプレス 2016)、それから同じくヤリタさんの『ビートとアートとエトセトラ――ギンズバーグ、北園克衛、カミングスの詩を感覚する』(水声社 2006)はきちんと帯付きで載せてあってうれしかった。この本の帯は4種類あり、いずれも高橋昭八郎の『あ・いの国』(1972)という作品の中からその一部が印刷されている。売るための文言は一切帯にはないので、帯のかたちをした第二の表紙カバーと言っていい。ヤリタさんから「昭八郎さんの作品を表紙カバーにしたい」と言われ、私が装丁を担当した。こんなことを実現させてくれた版元はやっぱりすごい。

1200もの本が並ぶページをめくり続けるのはいつまでも楽しい。そして思うのは、やっぱり圧倒的に軽々しい装丁がいい。特にその軽々しい冊子たちがどういうわけかいつの時代もどこかの誰かに好まれて、巡り巡ってずっといつまでもこうして残ってしらっと現れるのがうれしい。中綴じもいいだろう。ホッチキス留めもいいだろう。ガリ版も活版も、コピーも手書きもいいだろう。本が破れたり汚れたらとてもいやだけど、破れたり汚れたからといって手放したくなるようであればもともと縁がないというものだ。

ボロくなって悲しいけれど手放すつもりも買い直すつもりもない本というのは実際あって、私にとってダントツ一番は『2角形の詩論 北園克衛エッセイズ』(1987 リブロポート)だ。造本装幀は戸田ツトム、造本協力に白石幸紀・松本早苗・木本圭子各氏の名前がある。装丁もすごく好きなんだけれど表紙カバーがだいぶ前に破けてしまい、そこからさらにめくれてしまって相当ボロくなっている。この紙はおそらく「筋入りターポリン紙」だろう。古賀弘幸さんの『文字と書の消息』(2017  工作舎 エディトリアル・デザイン:佐藤ちひろ)の表紙カバーも同じだが、こちらは今のところ、うちの棚では無傷である。

ターポリン紙(tarpaulin paper)というのは、クラフト紙にアスファルトをはさんで加工した紙だ。特に筋模様の入ったクラフト紙ではさんであるので、「筋入りターポリン紙」ということになるだろうか。筋になった薄い色の下から、時間がたつとアスファルトの黒っぽい色がわずかに濃く見えてくる。手元でボロくなってしまった『2角形の詩論』を見ると、この紙が三層構造であることがよくわかる。表面のクラフト紙がめくれると中は一面真っ黒だ。筋入りターポリン紙全体を見ても、たしかに少し濃くなっている。黒文字のタイトルは紙に埋もれてだいぶ読みにくくなっている。

いっぽう、『文字と書の消息』のタイトルと著者名は白箔で、時間がたつと全体の色が濃くなることを想定しての選択だろう。この白箔がかなりくっきり押してあり、紙の裏を見ると黒くはっきり鏡文字になって出ているのがおもしろい。ただ、時間がたつと見返しのきれいな黄色に筋入りターボリン紙の色がどうしてもうつってしまうから、新刊書店で手にした人がそれを「汚れ」と感じるのはしかたのないことだろう。

ターポリン紙というのは、1914(大正3年)に現在の品川にあった藤森工業(現ZACROS)という会社が特許をとっていたようだ。初代社長の藤森彌彦(本名環治)さんが、絹糸や絹製品を船便で海外に送るのに高温多湿下で品質が悪化するのを少しでも防ごうと、紙と紙の間にアスファルトをはさんだ防水・防湿紙「藤森式ターポリン紙」を生み出したそうだ。日露戦争のあとに沈んだ船を引き上げる仕事をしていたそうだから、そこでの体験もおおいに生かされたに違いない。最初に引き上げた船が彌彦丸で、そこから「彌彦」を名乗ったそうだ。

同社は「包んで守る先端技術」で100年超、いまや東証一部上場企業で、点滴や細胞培養のバッグや宇宙帆船、トンネル用防水シートなど扱う品目は多岐にわたる。「包む」ことから見続けたこの100年の始まりがターポリン紙だったとは! 拠り所となることばというのは、会社ひとつ、人ひとりにひとつずつで十分なんだろう。むしろだから思わぬところに深く広くつながっていく。その網に私もこうして引っかかり、1914年生まれのバロウズは藤森式ターポリン紙と同い年であることもわかった。